2008年12月30日火曜日

■やはり第九は感動します。




■やはり歓喜の歌です。
■声高らかに歌いました。
■今年も第九が歌える喜びを胸に・・・。

2008年11月19日水曜日

『明日の神話』 『柱』が邪魔







■除幕を待って見てきました。
■岡本太郎さんの壁画『明日の神話』
■渋谷駅のJR線と京王井の頭線をつなぐ連絡通路に掲げてあります。
■しかし残念
■残念1  どうして広島に展示できなかったのか・・・。
■残念2  折角の壁画が『柱』で邪魔されています。      
■もっと引きのある広い場所で見たいものです。
■しかし感動しました。     
      これを描き上げるエネルギーに。
■芸術は(=)爆発なのでしょうか・・・。  
■しかしこの等号は恐ろしい    
      爆発=芸術  

2008年11月6日木曜日

■雨の錦帯橋


■といっても中国の錦帯橋です。
■20年ぶりの雨でした。
■中国の杭州市では過去20年間にわたって11月の初旬に  
 マラソン大会(最初の15年間)ならびに  
 ウオーキング大会(最近5年間)が開催されています。
■今年の大会に参加しましたが、幸運??にも雨でした。  
■雨の西湖と錦帯橋もなかなか風情がありました。  
 http://www.1mcc.com/mac/kousyu0811/
■杭州市はとにかく綺麗で魅力的な街です。  
 約二十年間で数十回行っていますが  
 行くたびにとりこになります。
■夜、西湖の入り江で水上ショー『印象西湖雨』  
 を鑑賞しました。
 http://you.video.sina.com.cn/b/4184055-1270479044.html
■北京オリンピック開会式セレモニーの  
 監督チャン・イーモウ演出、作曲は喜多郎です。  
 オリンピックの開会式よりは  
 はるかにすばらしいものでした。  
■中国の錦帯橋は西湖に架かっています。 

■岩国錦帯橋と西湖錦帯橋は姉妹橋です。

 

 

2008年10月26日日曜日

■結納  ■口上

■結納  ■口上

■三十年以上も前の事であるが明確に記憶している事がある。
■私と家内との結納の日、仲人さんの口上が極めて印象的であった。
■身振り手振りを交えてスタートから流暢に流れる口上は、その結納の格調をいきなり高度なものへと誘った。
■時は流れ、長男にお嫁さんを迎える事となった。
■結納の日取りが決まり、まだまだ先の事と考えていたが次第にその日が近づき、冒頭の口上をいろいろと考えるようになった。
■インターネットでいろいろ検索をするが、そのようなものはなかなかない。
■略式の結納のいくつかの台詞とト書きはあるが、肝心な冒頭の口上はない。
■そこでとうとう前日の深夜になってオリジナルな口上が出来た。
■結納の当日も、自分自身の携帯電話に打ったメールを確認しつつ口上の練習と式次第の復習をしたがとうとうその瞬間は来た。
■自分の結納のときの仲人さんの様には出来なかったが、何とか及第点にはなりほっとした。
■それにしても大変ほほえましい笑顔の絶えない結納であった。
■幾久しく幸せであって欲しい。 

2008年9月9日火曜日

■ギターと尺八の共演  ■吉岡龍見先生と共に




■一年ぶりに吉岡龍見先生、川岡秀麗先生と共演をさせていただいた。

■シンフォニア岩国のミューズホールは二百数十人で超満員であった。

■曲はアンダルシア地方の音楽と日本の音楽の融合を図った即興曲である。

■割れンばかりの喝采を頂き大成功であった。

■吉岡龍見先生は今月オーストラリアへ演奏旅行に出かけられるそうである。




■企画は永年交流を深めている川岡秀麗先生である。


 




2008年8月23日土曜日

■国酒  ■五橋  ■洞爺湖サミット ■kokusyu







■洞爺湖サミットの宴席で使われた三銘柄の日本酒のひとつを入手した。
■ラベルは統一して『国酒』となっているが『五橋』である。
■書は福田首相の揮毫である。
■私の愛する錦帯橋は別名『五橋』とも言う。
■世界に誇れる『錦帯橋』にちなんだ  
 世界に誇れる清酒『五橋』が  
 世界の首脳の皆様方の宴席に華を添えたことは  
 大変誇り高いことである。
■皆さんに心から橋と清酒の『五橋』を紹介したい。


2008年8月11日月曜日

■一書展

■第6回 一書展  (いっしょてん) が 広島にて盛大に開催された。
■主催は一書會・廣島書道学院である。
■本会の指導者である正木嗣鵬先生の書展も同時に開催された。
■数百人の出展があり圧巻であった。
■書道の道は人生の道に寄り添って存在すると信じている。
■この道は自分の前にはない。
■人間の生き方
■人間の品格がそのまま刻まれ道となる。
■他人の歩んだ道をそっくりそのまま歩むことも難しい。
■日々鍛錬することによってのみ
■確かな道ができるのであろう。

2008年7月18日金曜日

■世界ジャンボリーの思い出

■2015年に山口県で世界ジャンボリーが開催されることになった。
■40年前の世界ジャンボリーに関する私の手記があるので掲載させていただく。




米国旅行記

12th WORLD JAMBOREE   

ボーイスカウト岩国第2団 松 塚 展 門


■ 友情のために

 日本の国旗を制服にとりつけた。日の丸は日本人にとってあまりめずらしくもないものだが、私にとって、自分の身につける衣に日の丸をつけたのは生れてはじめてである。私の制服にもいろんなバッヂがつけてあるが、しかしそれだけはなぜか私に告げているように思えた。それは、「おまえは日本国民の代表として合衆国のアイダホ州ファラガット州立公園にておこなわれる第12回ボーイスカウト世界ジャンボリーに派遣されることになった。それにおいておまえは私に恥をかかせないような行動をとり、日本の若人として立派に世界の友とつきあって来い」と。

■ ワイドゲーム

 ワイドゲームと僕たちが聞いてもなんだかまったくわからなかった。ただジャンボリー参加者にアルファベットを書いた大きなカードだけをくばっただけであった。ところがいろんな説明を聞いているうちにこのゲームの意図するものがわかった。それは先ほどくばられたカード、実はその1つのアルファベットはこの大会のテーマである。For Friendship「友情のために」のFriendshipを異国人であるスカウト1人1人のアルファベットにより構成するものである。つまりこのゲームに参加するとたちまち世界の友が9人出来るわけであるが、合衆国の参加者が約1/3いたのでまったく異国の9人の友を作ることは出来なかった。今もその9人の友の名前を覚えているが、特に印象に残っているのはドイツのデイター彼は身長が190cmもなる大きな人だったが、年はぼくと同じ17才、とてもスポーツマンらしい体つきだった。一方イギリスのピーターはいかにも北欧的な顔をしており帽子につけていた鳥の羽が印象的だった。 このフレンドシップのもとに生れた10人のグループはこの大会で約1,500組となるわけだが、今後それぞれの小さな世界であるグループの中だけでも平和を求めて行きたいと思う。

■ ボンダレイ湖

 ファラガット州立公園のそばには大きなボンダレイ湖があった。この土地の人の話によるとこの湖のおかげで住民たちは魚つりを楽しみその上、生活に必要な水を多量にくみ上げることができるそうである。だからこの大会中僕たちは水に不自由することは1度もなく、いつでもシャワー場に行くと冷たい水がいきおいよく出てきた。キャンプ生活においても水は大変重要なものである。 このように水が十分あると、たくさん雨が降るのかと思われるかもしれないが、期間中雨らしい雨はまったく降らず、地面は乾燥しきっていた。やはり近くにこの湖があるおかげだろう。 この湖でこの大会に参加したスカウトたちはみんな水泳やカヌーをこいでは楽しむことが出来た。やはり湖なので水温はちょっと低かったが、みんなはしゃぎまわって水と戯れた。そして南洋の土人だちが乗っている船、カヌーに乗ったが、これは2人づつのるのでチームワークがよくないと、直線に進んでくれない。どこかのカヌーは同じ所をくるくる廻っていた。 このように第12回ワールドジャンボリーが成功した大きなカギをこの湖は持っているように思える。人間生活において水は必要かくべからざるものだから。

■ 交歓と交換

 交歓というものはこのような大会においてもっともねらいとするものであるが、その方法はいろいろあり、国同士の交歓もありまた隊同士又班、個人といろいろな形式で僕たちは、外人との交歓につとめたが、ボーイスカウトの交歓において、交歓した相手の思い出となるような品物又はサインなどを交歓するのも又一つの楽しみでもある。 日本人はこの交歓において、合衆国のスカウトたちのスケールとは比べものにならないほど小さい。彼らV.SAのものどもは、交歓となると金属製のトランクに、いっぱいにチーフ、スライド、パッチ、バッヂなどをつめこんで、僕たちのテントのそばに来て、貿易?のこうしょうに入る。そうして、こちらがO.Kということになると彼らに、テーブルの上に、品物をならべさせ、貿易?がはじまる。そうして日本側からはよく、こけしとか扇が輸出され、外国からはバッヂ(ワッペン)などが入ってくる。ところでぼくは、この交歓を貿易と言ったが、そばで見ているとさながら異国人同士の貿易縮図に見えてくるのである。そもそも彼らもこれをトレードと言っている。(trode vi 貿易する)このような交歓が会場のあちこちで見られるのはあまり好ましくないが、それによって友情がつかめるのならいいのかもしれない。事実彼らも交歓を忘れていなかった。 このようにして交歓した品物を日本に帰りまた、彼らが自分の家に帰って、それを見る時、かつて自分たちが交歓と交換をしあった友のすがたを、思い出すことだろう。そして、ペンフレンドとなり永久に文通し合い又あえることを楽しみに、勉学に又スカウティングにはげむことだろう。

■ 宇宙飛行士とスカウト

 合衆国では多くの青少年がスカウト生活をおくっていると言われるが、そのことはたやすく僕たちにも納得がゆく。それは、見知らぬ街でばったり合った、同じ年ごろの人と話していて、きみは、スカウトですか?とたずねると、多くの人がyesと答える。 このことは宇宙飛行士においてもしかりである。この大会の会場には、ジェミニとフレンドシップが展示してありU.S.Aの宇宙飛行士の写真がすべてあったが彼らのうち約80%ぐらいはスカウト経験者だという話を聞いた。そんなこともあるからか、閉会式の時、カーペンター少佐が来られた。その際空中歩行機の実演があったが、それでこれから来る宇宙時代において、月世界などで活躍するのであろう。そのころには、スカウトの生活はどのようになっているであろうか。もしかしたら、月でワールドジャンボリーというぐわいになるかもしれない。それにしても、その飛行士の大半をスカウト経験者でしめているということは、何かすばらしい感じがする。

■ イエローストン国立公園

 世界中のだれでもが知っている公園と言うとあまりないが、イエローストン国立公園と言えばだれでも知っているだろう。ここはワイオミング州の北西にあたり、森と湖と山がうまく調和している静かな所である。合衆国のみならず世界の各国からここには多くの人々がバケーションを楽しみにやってくる。よく日本の公園はあちこちにちりやごみがおちており、とても息苦しいという話をよく聞くが、まったくそのとおりだと僕もここに来て初めて思った。ちりも落ちていなければ落とす人もいない。もし落ちていたら、だれかが拾うというぐわいだからよごれるはずがない。この点において我々日本人はおおいに学ぶべき所がある。 ここでは、日本のスカウトは、4人1組になって、ロッジにとまったがその数の多さ、そして設備のすばらしさにはおどろいた。しかしそのロッジを使用するのは外国の人が割と多い。アメリカではトレーラー式になった家のようなものを車で引っぱって行きその中で生活しながら1ヵ月間をすごしている人もいる。このような光景は日本ではちょっと見ることができないが、そのうちこのようになるだろう。

■ 日本人と交通道徳

 ある外人が日本に来て次のようなことを言ったそうである。 「日本の運転手は、信号機を見る時自分の前のランプが青になって進むのではなく、反対の道のランプが黄になった時、彼らは自動車を動かし始める」 僕はそれを聞いた時、日本人のおちつきの甘さと、他人にゆずる心・・・・さまざまなものがとりあげられるが、とにかく合衆国ではとうてい見ることのできないものであるから、その外国人がそんなことを言ったのもむりもないことかもしれない。それに僕の見た範囲だけでは日本の東京のように人が多くその上車もあふれるほどいるような町はどこにもみあたらなかった。それに彼ら米国人は計画的に道路とオフィス街、住居地の関係をうまくつかんで道をとりつけているので今後どんなに発展しても日本のような状態にはならないだろう。 それに道を歩いても路上で立話をしたり、多くの人が横に広がって歩くこともなくそれはゆったりしていた。日本は国土がせまいので・・・・と言うような事をいつまでも言っていては、今後いつまでたっても進歩はない。ここらでひとつ日本人の知恵をしぼって71年のジャンボリーまでにでも外国なみにしたいものである。

■ ソートレイクシィティー

 フォストファミリー(民泊)をするのは初めての経験だったが、外国人の生活、心、に直接にふれるためには、1番よい試みだと思う。僕は、グレート・ソートレイクでよく知られ、又世界一の露天ぼりの銅山がある? とでも知られているソートレイクでビル・モーア氏の家に3日間おせわになった。彼の家は地下一階地上二階というすばらしい建物だった。そして、車は3台、カラーテレビも持っている割と生活水準の高い家だった。又彼は1人の息子と3人の娘を持っていた。その中にジムという名の14才のボーイスカウトがいた。やはり彼とは、スカウト関係の事については話があった。彼は、趣味として洋弓をたしなんでいるらしく、僕にアローヘッドをくれた。又、こちらからは姫だるまをプレゼントしたが、その美しさには大変おどろいていた。そしてこのだるまを、すぐに熱帯魚がいるたなのすぐそばにかざった。やはりここでも扇を見せるとめずらしがっていた。(扇は合衆国にはまったくないかと思っていたら、香港製のものが店で売られていた) 一方この地方は昔から銅を多くほり出しているので銅細工・銅製器が銅山のそばの店には多くあった。ところでこちらで買物した時たまげたことが2つあるので述べておこう。その1つはこの国ではタックス(税金)があとからつくので定価のままで品物が買えると思ったら誤解を生じてしまう。つまりタックスが定価の約数パーセントかかるのでそのほうも頭に入れて買わなければならない。しかしノータックスの所もないことはない。2つ目は、この国のおつりの出し方である。日本だったら、もし70円の品物を買い100円はらうとすぐ30円とさし引、残高を言って返すが、彼らは70円80円・・・100円と10円玉をたして100円にまでかぞえるとやめてしまう。つまり日本とは、反対で彼らは引算をしておつりを返さない。 ところでこの町の名ソートレイクシィティーのゆえんはこの町にある大きな湖がありこの水がとても濃い塩水なのでその湖がグレートソートレイクと言われるようになり、又その湖の名をとって、ソートレイクシィティーとよばれるようになったのであろう。この町にはゴシック建築の大きな寺院とかユタ州庁とかいろいろ有名な建造物の多い町でもある。又ここに小さな動物園があったが、ちゃんと日本ざるのおりもあった。僕はそれを見た時何かうれしいような気がした。 この町を立つ前の日、この家族の人十数人で近くの山の中でバーベキューを楽しんだ。その時、僕と同じくギターを愛している18才のスカウトと友達になった。彼はギターをはじめて約1年ぐらいだと言っていた。この時音楽に国境のないことはすばらしいことだと思った。そうこうしている内に3日間はあっという間にすぎ、彼らに別れをつげた。その時彼らはこう言った。「ふたたび我々の国合衆国に帰ってきなさい・・・・」 僕はいつの日にかこの地をふたたびふむことが出来ることを信じて、この町を去った。

■ 長距離バス

 ジャンボリーが終って僕たちはこの国の西部諸都市を長距離バスで旅行したが、この車は大陸横断道路などをつっぱしる時は平均時速約110Km/hで走っている。しかし、車が大きくみわたすかぎり変りばえのしない平原なのであまりスピードを感じない。バスには40人乗ったが、とてもゆったりしていて長い時間乗っていてもあまりつかれない。それにバスの内に便所もあるので快適そのものである。 ところで平原について少々述べると、やはり米国、日本とは段ちがいで、みわたすかぎり平原ではるかかなたに低く山が見える程度の状態が数時間続くのには驚いた。このバスだが前から見ると日本のバスよりぶかっこうであるというのは座席の床の下が広いトランクとなっておりその中にリュックサックとかその他の荷物が入れられる様になっているので縦に長くなっているのである。そして又不思議に思うことがある。それは、日本なら車のナンバープレートは、1台の車に1個しかつけてないのは当然だが、このバスはちがう。数個のナンバープレートをとりつけていた。なぜならこの国の政治形態は州中心となっているので各州によって発行している。それが異なるのである。  したがって他の州に行く時はその州に入る許可証をとってさらにナンバープレートもついていなければならないのである。このような点は日本より不便である。

■ バスと運転手

 この国では運転手は10時間働くと8時間は必ず休まなければならないという法律があるそうだ。これには僕たちはまったくまいった。なぜなら、観光会社の段取が悪く、運転手の交たいがうまくいかず1日の日程がずれてしまった。彼らは自分の任務が終るとさっさと車から降りて行き食事をとり時間が来るまではいっこうに帰ってこようともしないのである。このようにしてはバスの中ですごしたのであるが、そうしているうちに、この中がよごれてくる。そしてよごれて次の日の朝バスに乗ってみるとまったくきのうのままである。つまり彼の考えは、自分たちは運転だけを忠実にしておれば自分の仕事は終わりだと思っているかのように思える。それも合衆国における物の考え方により必然的におこり日本人にとって納得の行かないものかもしれない。

■ 移住民と日本

 移住民といえば、日本の多く見られる町でしられているハワイ、ロスアンゼルスにはたくさんの日本人移住者がおり、その2世、3世も今ではぼう大な数となっている。 ところでハワイの72才になるおばあさんに聞いたいろんな話のいくつかを述べてみよう。彼女は51年前にハワイに渡って来たそうでこの島では割とふるい人である。もちろん、2次世界大戦中もこちらですごし、彼女の息子達は米国側について日本と戦ったそうである。そしてその戦は彼らにとって大変つらくかなしい戦だったそうである。かつて自分の母親がいた国、日本を相手にして戦った彼らの気持がいたいほどよくわかった。しかし、彼女らはいつでも日本が勝つように日本が勝つようにといのっていたそうだ。そしていつのまにか戦争が終り米国が勝ったと知らされてもまだ日本が敗けたような気はしなかったそうだ。 その後彼女らの心は変った。それは戦争まえは、いつの日か自分達は日本に帰れる、と考えていたのがこれによってもはや日本に対して背をむけた自分たちがどうして日本に帰ることが出来ようか。それよりこの国に一生とどまり日本人として立派に生きよう。という決心がおこり、この地に骨をうめるかくごができたそうである。しかし今でも彼らは日本をなつかしく思っている。そのしょうこに彼らの多くは米国本土には行ったことはなくとも日本に帰ってきたことのある人はたくさんいる。やはり彼らは日本をすてたのではない。いつでも彼らの心には日本に関係あるものが何らかの形でひそんでいる。 彼らは、米国を愛しつつ日本に対してもそうしているのだ・・・・。

■ 空と海のごとく

 空と海、この美しさを合衆国に来て、いっそう認識した。それは日本のように、ばい煙によごれることなく、また工場からながれてくるよごれた水もない。こんなことは、この国においてはまったく当然のことで、空を見ても海を見ても日本とはまるっきり色がちがう。したがって、山を見ても、島を見てもその美しさが一層ひきたつのであろう。その空のごとく海のごとく彼らの心もすんでいるにちがいない。それを証明したものがあった。 ロスアンゼルスに民泊した時のこと。僕たちはボーイスカウトのリーダーの案内でスカウトのキャンプ場であるファイヤーストーンを見学したが、その際、僕はさいふを落としてしまった。その中には割と高額なお金が入っていたので、僕たちはいそいでさがしたが、見つからなかった。しかたなくその場はあきらめて帰った。ところが数時間後その地において、スカウトの1人が僕のさいふを発見したという電話が入った。そして彼はそれを車でとどけてくれたが彼はお礼のなにものをもうけとらなかった。しかたなく彼の名前と住所だけを聞いて別れたがほんとうにスカウトらしいいい人にあえることができてよかった。 やはりこの国の人々の心は空のごとく海のごとくすんでいるにちがいない。
 この大会に参加して、スカウト活動のすばらしさと、B.Pの偉大さに感心した。もしこの大会をB.Pがごらんになったらどのようにおっしゃるであろうか。おそらく、「これこそ私のねらいとした、世界の若人の集まりである」と。
 

2008年7月17日木曜日

■2015年 ボーイスカウト世界ジャンボリー 山口県で開催

■7年後の2015年にボーイスカウト世界大会が山口県で開催されることが今日決定した。

■シンガポールは国家を挙げて誘致活動をされていたそうである。

■その中で山口県が選ばれたことは実に意義深い。
■実はこの決定を待ち望んでいた。

■通常この大会は世界ジャンボリーと呼んでいる。

■4年に1度開かれる世界的イベントであるが、知らない人も多い。

■2015年7月27日~8月8日の13日間、開催される予定である。

■世界の200以上の国と地域から約3万人が参加するがかなりのイベントである。

■なぜ心が躍るかというと 

 昔世界ジャンボリーに2度参加した経験を持つからである。

 第12回世界ジャンボリー 1967年     
     アメリカ合衆国アイダホ州ファラガット州立公園 

 第13回世界ジャンボリー 1971年    
     静岡県朝霧高原

■世界の若者にぜひ錦帯橋を見ていただきたい。
 

2008年6月25日水曜日

■錦帯橋と世界文化遺産         ■世界遺産

■錦帯橋と世界文化遺産

■最近錦帯橋の世界文化遺産化への運動が盛んになっている。これは実に喜ばしい。
■二十年以上前から錦帯橋は世界の文化遺産だと唱えていた私にとってまさに期は熟してきた感がある。
■ところで、錦帯橋は創建当時のものが何も残っていないので、価値がないという人がいたが、これも最近は、技術の伝承をしてきており、その伝承も文化遺産だと言う認識が芽生えつつある。これまた喜ばしいことである。
■しかし、伝承の中身が重要な問題となってくることにまだ多くの人々は気づいていない。

■つい最近も平成の錦帯橋架替に従事した大工さんが自分の理解の範囲で錦帯橋の図面を書いたと説明していた。時代の流れでCADを急遽勉強し書いたそうである。
■しかし、現場では頑固親父の大工がその図面を無視し勝手に施工したところもあると紹介された。

■彼らの大工工事のみならず金属工事、石工事等々の総監督をした錦帯橋架替工事の元受である建築協同組合の一員として当時つぶさに監督した経験を持つ私にとって、その発言こそが伝承の中に潜む危険性を象徴するものと確信をしている。

■昔の図面とそのとき架かっている錦帯橋を見てそのコピーを作り自分の能力の範囲だけで伝承と言ってきている実態をくしくも今回発表されたので、今後の展開はむしろ簡単になってきた。
■確かに、コピーも重大なことであるが、とりわけアーチ部については、児玉九郎右衛門が設計したその基本コンセプトを理解せずして盲目的にコピーを繰り返しても、そこには矛盾が残るばかりである。

■このあたりで関係者は最近の錦帯橋の研究に目をむけるべきである。

PS
■私も、今回の架替の現場で見るに見かねて注意をすると『わりゃーだまっとれ!』と頑固親父から言われたが、先の図面を書いた人の説明で納得である。
■ただ、彼らも自分たちが理解できた過ちに対してはその後の二期工事で修正してくれたので私の指示に従ってくれたようである。
■今後まだまだ理解して欲しいことが沢山あるが、これを無視しては決して錦帯橋の世界文化遺産化は実現できない。
 


 

2008年5月11日日曜日

■岩国県庁跡地で茶会







■知人の勧めで茶会に行ってきた。


■野外で開催されたが大変良いお天気であり、


■実に風流であった。


■重要なのはこの茶会会場が


■元岩国県の県庁所在地であったことである。



 









2008年4月30日水曜日

■神様の使い?  孔雀参上


■ミニ演奏会を無事に終え。
■打上げが実に盛り上がったとある日に。
■その事件は起こった。
■警察官が5人出動し長時間にわたる捕り物騒ぎとなった。
■ちょうど演奏会のリハーサルをしている時分に
■我が家の近所に
■神様の使いだろうか  
■孔雀が舞い降りた。
■実際孔雀が飛ぶかどうかは知らない。
■家内が近寄って撮った写真がこれである。
■演奏会修了後、家内からは演奏の評価はそっちのけで  
■孔雀の話ばかりであった。
■警察もだが、テレビ局や野次馬でごった返したそうである。
■何か良い兆しならいいのだが・・・。  

2008年3月22日土曜日

■ごえん

■五円
■ご縁

■誤嚥

■昨日月に一度の異分野の勉強会で  
『ごえん』という言葉を勉強した。

■『誤嚥』と書く。
■嚥下機能が落ちてくると『誤嚥』となるようである。
■簡単に説明すると
■口の中にあるものを飲み込もうとする瞬間に
■肺に通じる管には蓋が覆われるそうであるが、

■その蓋を覆うスピードがいろんな理由で
■鈍くなったり、出来なくなると
■『誤嚥』となるようである。

■このような状態になると
■水のようにさらさらしたものが一番危険と言うことである。

■そんな液体に手っ取り早く
■『とろみ』をつける粉の説明が印象的であった。

■試供品を頂、早速懇親会で日本酒に入れてみた。

■とろとろのお酒
■違和感はあるが、日本酒であった。  

■これは ユニバーサルフード である。

■勿論、とろみは誤嚥防止の有効な手段となっているという。  

 


2008年3月6日木曜日

■エンジニアリング・デザイン ■Engineering Design


■エンジニアリング・デザイン 

■Engineering Design



■簡単に言うと

■機能的で

■使いやすく


■安価で

■安全で

■作りやすく


■運びやすく

■長持ちで

■壊しやすく


■環境に優しく

■・・・・・・・・・・・・・・・・

■・・・・・・・・・・・・・・・・



■しかも美しいデザイン




■これら全てを満足させようとするデザイン


■人類永遠のテーマである。





■そんな話題の載った土木学会の今月(平成20年3月)の表紙は


■錦帯橋


■なんだか分かるような気がする。





 





 



 


2008年2月23日土曜日

■爪の顕微鏡写真

■夢の中で鮮明な顕微鏡写真を見た。

■今まで一度も見たことのない
■爪の先の顕微鏡写真である。

■実に克明で
■自分の疑問に納得できるものであった。

■と言うのも
■最近人差し指の爪の先が非常にもろいので
■なぜだろうと思っていたのだが

■原因はしばらくその爪に瞬間接着剤を塗っていたからだろうと
■思い込んでいた。

■事実接着剤を塗っていた爪の部分の表面が非常に荒れており
■それ以後の爪の表面の様子とまったく違う。

■通常は破断面だけで接着するのだが
■今回は爪の表面にも沢山接着剤をつけたことが影響したようだ。

■そんなことで
■爪の顕微鏡写真となったのであろうが
■実に不思議である。

■当然今までに爪の顕微鏡写真なんか見たことはない。 

2008年1月28日月曜日

■音楽の醍醐味

音楽の醍醐味は
言葉の代わりに
音楽で意思が伝わったときです。

人間の言葉が
生い立ちや
教養や環境に左右されるように

演奏も
生い立ちや
教養や環境に左右されます。

バロックの時代に
生きた人々の
生い立ちや教養、環境が
その音楽を創りました。

今私たちは
逆にその音楽から
当時の人々の 生き様や、
時代的背景を
うかがい知れます。

それが楽しい・・・。
ですね!!

■村治佳織ギター・リサイタル ■超感動

■村治佳織ギター・リサイタル
■超感動
■大変美しい
■しかも笑顔がチャーミング
■そんな彼女の演奏会を待ちに待っていた。

■演奏会の初っ端の微笑みに魅了され
■バッハのリュート組曲やシャコンヌ・・・・。
■超感動という言葉を送りたい。
■抜群の演奏会であった。

■演奏会の後の懇談会に幸運にも参加でき
■1時間くらいお話が聴けた。

■記念として色紙に毛筆でサインをいただいた。
■私からは、
■錦帯橋とピアノのポップアップカードをプレゼントした。

■残念ながら握手は出来なかったが
■爪の形は詳細に見せていただいた。 

■学生時代ひたすら練習していた曲が沢山聴けて
■涙が出てきそうであった。


■ギターを弾いて四十数年になるが
■感動の一日に感謝したい。
 
 

 
 

2008年1月15日火曜日

■学問のすすめ

■今日かなり遅い年賀状が届いた。
■私が大変お世話になった方からである。
■現在は大学の客員教授や文科省の委員をされている方である。
■お決まりの印刷の空欄に書かれた文章がこうである。

■『国民がアホだったら、政府がアホになる。
  だから、国民がまず利口になれ』と
  福沢諭吉が『学問のすすめ』で言っている。
  全国民に『学問のすすめ』を読んでもらいたい。

■青いボールペンによる走り書きである。
■これが今日の私を動かした。
■早速『学問のすすめ』を読み始めたがなかなかのものである。
■書き始めが明治4年であるが、新鮮である。 
■考えてみると、
■有名な冒頭の部分だけで一度も全編を読んだことはなかった。 
■私も『学問のすすめ』を読まれることをお勧めする。
 
 

2008年1月8日火曜日

■適材適所 ■温水プール ■天井

■愛知県の温水プールの天井が落ちた。
■温水プールの天井と
■住宅の風呂の天井は
■同じような条件で
■その仕上げ材料は決定されなければならない。
■報道から分析すると今回の落下した
■仕上げ材は選択ミスと考えられる。
■水蒸気を吸って柔らかくなり
■さらに重くなる仕上げ材は
■風呂の天井や温水プールの天井には好ましくない。
■もちろんそれを覚悟で
■十分な対策が取られていれば問題ないのだが・・・。  

■適材適所