2007年4月29日日曜日

■りさいくる


■和服を最近はあまり見なくなった。

■箪笥に眠っている和服も相当な量になると思う。

■最近祭りのバザールで古和服を再生したさまざまな商品を目にする。

■古の輝きが再び戻ったような気がしてくる。

■無造作な値札は何を感じているのであろうか。
     ■1mcc.com
   

■びゅん  ひゅー


■空気を切る音

■身を守る音

■空気の振動

■象牙が空気を切る音

■空間に響く音

■竹筒に響く音

■平和な音

 

■えるがた

■自分の思い込みの、ひどさと、思考の狭さを痛感した。

■L型手すりというものがある。

■福祉のトイレなどについている、手すりの形状がL型をしている手すりである。

■あるとき、手すりのL型で小さな子供が頭を強く打ったという話を聞いた。

■私はすぐにL型手すりと思ったが、実際はそうではなかった。丸い手すりの棒と壁とをつないでいる、固定金具のことであった。確かにL型をしている。

■その金具に子供が頭をぶっつけたということであった。

■ユニバーサルデザインが叫ばれる今日であるが、確かにこの部分の安全対策はまだまだ十分とは言えない。私は新たな手すりのL型問題を得た。

■手すりのL型は問題だとする私の叫に呼応していただいた方に感謝したい。

■実は私のL型問題はL型手すりの問題であった。
 http://www.1mcc.com/tx/tesurihakusyo.htm

■L のお陰で 得(える) ことになった。
  
 

■祭り 今日の錦帯橋




■祭りという行事は古来、神へ願い事を届ける儀式であったという。

■祭壇に新鮮な海の幸山の幸を恭しくお供えし、ひたすらに祈った。

■ゴールデンウイークに入って二日目、毎年4月29日は錦帯橋祭りである。

■晴天に恵まれ、小さな地方都市岩国の交通は一瞬麻痺した。錦帯橋周辺に数万人の観光客の方々がこられたそうである。

■同じくゴールデンウイーク恒例の5月5日の米軍岩国基地開放日には30万人の人出が予想されている。

■多くの人々がそれぞれ抱く魅力に駆られて、これだけの賑わいになるのであるが、これを祭りと呼ぶとき、人は何を祈っているのであろうか。

■最近の発言に、自分へのご褒美です、というのがある。

■旅行に行っても、祭りに参加しても、何かショッピングをしても、自分へのご褒美です、というわけである。

■神々への捧げ物から私への捧げ物が最近多くなりはしないかと反省しながら、水と緑に囲まれた岩国に住める幸せは、神々のお陰とつくづく思った。

■神々しいまでにきれいな今日の錦帯橋であった。
     ■1mcc.com
 

 

2007年4月28日土曜日

■誕生日

■今年結婚した娘からにぎやかな動きのあるかなり派手なメッセージメールが入った。
私がたこがこよなく好きなものだから、新鮮なたこをプレゼントしてくれた。

■ケーキやパンを作る名人の家内はこのたこに生クリームを塗ってバースデーケーキにしようかと真顔でいう。

■母はわざわざ父と一緒に街まで出てきて、かなり高価な栄養ドリンクを沢山プレゼントしてくれた。
80才前後になった父母がまだまだ元気なのには大変感謝している。

■もう少しで還暦を迎えようとしている自分をじっと見つめ、人生のまだ道半ばにも達していないことを、つくづくふがいなく思う。

■大きな社会の流れを敏感に感じ取れるようになったような気がするが、気のせいかも知れない。

■会社の仲間が、原点に立ち返り、基本を大切にしましょうと心から発言する姿に勇気付けられ、仲間の大切さを改めて知る。

■大きなプロジェクトを進めるにあたって、さまざまな方々の恩恵をいただいた。
心の中で小さくとも強く念じたことは、やはり花が咲きそうである。

■両手の指の動きが昔と比べてやけに硬くなったように感じるが、自分の指の重みを感じることが出来るようになったことはこれから楽器を弾いても、プラスに影響すると思う。

■庭の草木の手入れをしながら、自分の体の運動になっていると思い込むのが何かいやらしいが、植物に心身ともに支えられているように感じるようになったことは、若干の進歩なのであろうか。

■そんなことを考える 今日は私の誕生日


     ■1mcc.com

 
 

■国立新美術館




■所蔵品を一切持たない新しいコンセプトの国立新美術館を拝見した。

■複数のジャンルの違う展覧会を一気に見学できるのは、実に爽快である。
今回は時間が無かったので、駆け足で回ってみた。

■ゆっくりと鑑賞するのが正しい道と思われている人からすれば、こんな
見学の仕方は邪道かもしれない。
  
■しかし、絵画や書あるいは彫刻など芸術作品は、自分と作品との間の目には見えない何か引き合う電波のようなものが通じあったときのみ、意味を持ち、そうでないときには、いくら時間をかけてみても何の意味を持たない。

■自分の心の中に受容体が形成されていないのに、なんの情報伝達物質が投げつけられようと、所詮キャッチできないのである。

■小説は悩める人が書き、悩める人が読むのもだと著名な作家が言われたそうであるが、これに通じることは芸術一般に言えることかも知れない。

■すなわち、芸術作品は情熱を注ぐ人が作り、情熱を注ぐ人が感じるものなのである。

■国立新美術館をめぐりながらそう思った。

■ぼたんの花





■岩国徴古館の前庭には大変綺麗なぼたんの花が毎年咲く。

■今年は暖冬のせいか少し開花時期が早いようである。

■大きな花びらの一枚一枚が実に生き生きとしているのが印象的であった。

2007年4月24日火曜日

■美しいありし日の原爆ドームの絵葉書



■美しいありし日の原爆ドームの絵葉書

■かつて、社会貢献のひとつとして
美しいありし日の原爆ドームの元の姿を再現しました。

■そのとき創った絵葉書が最近人気をいただいています。

■外国の観光客の方々が沢山買って帰られます。

■ それは 平和記念資料館(原爆資料館)
 Hiroshima Peace Memorial Museum
 にあります。

■今年もまた8月が近づいてきました。

■世界の平和を祈ります。


2007年4月22日日曜日

■僧独立と岩国錦帯橋

■私の友人に漢文と中国の歴史に詳しい先生がおられます。
岩国市で医院を開業しておられる、吉岡耳鼻咽喉科 吉岡達生先生です。

■漢文が読めないとき、先生にお願いにあがると、丁寧に教えていただけます。

■ここで吉岡先生がかつて書かれました『僧独立と岩国錦帯橋』をご紹介いたします。


僧独立と岩国錦帯橋     (吉岡耳鼻咽喉科 吉岡達生)

-とくに杭州西湖の蘇堤・白堤との関係-

 僧独立は、藩主・吉川広嘉の治療に来岩し、岩国錦帯橋の創建と命名に、大きな役割を果たしています。岩国錦帯橋は、川幅が二百㍍もある錦川に「流れない橋」をかけるという課題に対する、一つの解答例です。江戸前期の1673年(延宝元年)に、独創的な着想・技術で創建しました。岩国錦帯橋は、僧独立を通した国際交流の証でしよう。

独立と岩国錦帯橋の創建
 僧独立は、明が滅び清の世になって、中国杭州から日本の長崎に亡命していました。黄檗宗の禅僧となり、名医として有名でした。もとの名は戴笠(字は曼公)で、僧の名は独立性易です。
 1664年(寛文4年)に僧独立69歳は、広嘉の治療のため、岩国へ招かれました。独立が所持していた『西湖遊覧志』の西湖図には、蘇堤の六つの橋が島から島へ架け渡されています。独立が説明したところ、広嘉は「島伝いにアーチをかける」基本構想を思いつきました。島(橋台)と木造アーチ橋を併用して、長い橋を造る独創的な着想です。

 基本構想を具体化する際に、僧独立を介して中国の橋梁の知識を得たと考えられます。具体化の過程で、島(石垣で固めた橋台)は四つ、橋(橋体)は五つに決まりました。五橋のうち両端の二つの橋は、ふつうの柱橋にして、中央の三つの橋を橋脚のないアーチにしました。この木造の三連続アーチは、世界で唯一(オンリーワン)です。独創的な技術で、木造のアーチ橋を完全なものにしています。

独立と岩国錦帯橋の命名  -西湖白堤の錦帯橋から-

杭州西湖の白堤には、「錦帯橋」という石橋があります。僧独立が、この名前を岩国に伝えて、岩国の「錦帯橋」の名前になったと考えられます。
僧独立は、ひところ西湖畔に住んでいました。当然に西湖白堤の錦帯橋を日常的に利用していたことになります。『西湖遊覧志』は少し古い本なので、西湖図に白堤の錦帯橋の名前は記入されていません。西湖図を説明するとき、白堤の錦帯橋を追加したことでしょう。このとき、錦帯橋の名前が広嘉の心の中に鮮明に残ったものと思われます。



  

■竹の産地

■竹の産地

■二十数年前ベトナムのハノイに行ったとき 大変竹が多いのに感心した。

■またそのとき、やたらと河内という漢字が いたるところに書いてあるのに驚いた。

■というのも、私の故郷は河内(こうち、と発音する)であり 小学校は河内小学校に入学した。

■ハノイの街のいたるところに河内という漢字を見て、故郷に 帰ったような気がした。

■夕食後の歌舞音曲はまるで日本のそれと一緒であり、これまた故郷に帰ったような気がしたのを今でも覚えている。

■後でわかったことであるが、河内とはハノイのことであり、 ハノイを漢字で表現すると河内となるということであった。

■大きな川のデルタ地帯の中の同名の集落にどちらも竹やぶがあるというのもうなづける。

■そういえば、日本各地にも河内は存在する。

■ベトナム語ではみんなハノイである。

■万葉集に歌われた岩国

岩国の絵地図(1666年)岩国徴古館蔵
 
(万葉の時代の絵地図があればよいのですが・・・)
 

googlemap
錦帯橋
 
 


■周防なる 磐国山を 越えむ日は   
手向けよくせよ 荒きその道

山口忌寸若麻呂(作)730年(天平2年)
万葉集 巻4の567


 



  

■錦帯橋と僧独立


■城山から見た錦帯橋



■僧独立が好んで使った印(木製、岩国徴古館所蔵)

2007年4月21日土曜日

■USBケーブル

■今日はUSBケーブルの氾濫状態と言ってもよい。

■我が家にもたくさんのUSBケーブルがある。

■USBケーブルを良く見ると、片側は結構大きな
長方形(約12mm*4mm)の端子(A端子)ですべて一定であるが、
その反対側は、大小色々ある。

■最近デジタルカメラを購入したが、これがまた従来と違った形をしていた。

■さまざまな理由はあるだろうが、できるだけ同じ形状であってほしい。
 

■大きな たけのこ




■岩国は美しい竹林でも有名です。


■こんな大きなたけのこが取れました。

 

■高さ   43cm


■ウエスト 63cm     


■大変おいしいということです。  


  

■美しい日本と手すり


■私は常々、文化と文明に着目している。


■ある分野の文化と文明はそれがうまく両輪となって進展するとき人類に貢献すると思う。


■今、日本では福祉文化がやっと芽生え始め、それにあわせて福祉文明も進展し始めた。


■私が注目する手すりの分野はまだまだこれからだと思うが期待している。


■手すりの文化が進むと、いわゆる手すりに加えて、様々な形状・機能の手すりが誕生するであろう。すなわち、つかみ棒、握り棒、支え棒、吊り棒、倒れ棒、引き棒、跳ね棒、つかみ穴(壁に開けた穴)、つり革、e-手すり、i-手すり 等々とたくさんのアイテムが発生すると思う。


■すなわち手すり文明の勃興だ。

 
■さらにAIに支援されたセンサー、アクチュエーターが手すり文明の中に入り込んでくると、現代から見ると魔法ともいえる手すり文明を誕生させると期待される。

 
■それにしても残念なことは、日本の福祉の街づくりマニュアルは高齢者、障害者向けの手すりとしてなぜかL型手すり一辺倒であることである。


■これをご覧になる多くの方々に申し上げたい。『手すりに関しても、多様性を許容する日本に誘導していただきたい』

■手すり  足腰  トレーニング

■手すりの効用

■日常の生活を維持するために人はさまざまな予防を
 考えます。

■人の衰えはまず、足腰からくると言われています。

■日常の生活の中に、足腰を鍛える、それも手軽に
 鍛錬できる、ゾーンを作って見ませんか。

■未来のあなたの健康のために

 

■錦帯橋と私

■錦帯橋と私

 
■はじめに
 自称『錦帯橋の営業マン』の私にとって『錦帯橋と私』という小論をしたためる機会を与えられ光栄である。自らが美しくかつ四季折々の周辺自然景観にマッチし、世にも希な伝承的、文化的、知的財産である錦帯橋を、もっともっと岩国の人々は誇りに思っていただきたいと思う。そして、この偉大な錦帯橋と、これを創建した人々のことを、日本はもとより世界の人々に、もっともっと知っていただけるように、努力すべきだと思う。どんな些細なことでも錦帯橋のためなら、市民が一致団結して取り組める風土と文化の創生が今求められている。
 
■錦帯橋との出会い
 私が錦帯橋を初めて強く意識したのは、おそらく、小学校の頃、写生大会で錦帯橋を眺めそれを描いたときが最初であろう。いつしか、錦帯橋の様な構造物や建物に強く魅せられるようになり、ついに、小学校の卒業記念文集『巣立』(1963年3月麻里布小学校6年1組)に次のように書いている。
 『ぼくは工作がすきだ。だから工学博士になり、進んだやりかたで建物を作りたい。』人生の目標設定としては、かなり早い時期での決断である。さらに、今日でも私は、当時の幼い日の夢を追い続けていることに気付くと共にそれを誇りに思っている。もっとも、当時、私の父の営む会社が製材業であったことや、その後、父が建設業へ業種転換しており、私の育った環境もおおいに影響しているとも思う。
 今日、こうして故郷に帰り生業を続けるとき、なぜか錦帯橋のことがいつも気にかかるようになったが、少年時代の強い印象が今の私に影響し続けているのであろうか。
 
■錦帯橋の創建のドラマ
 錦帯橋創建の物語はNHKテレビの大河ドラマにも匹敵すると思う。そのドラマのスタートは、美しい錦川の風景からと言うことになるが、天候は快晴からやがて曇りになり、小雨となって後、大雨になり、大洪水の錦川が荒れ狂い錦帯橋創建以前の橋を容赦なく飲み込んでしまう、という激しいカットが想定される。
 いつの世も大自然に立ち向かう人間の姿はあまりにも小さく、か細いものである。しかし、人類に降りかかるあらゆる困難は、人類特有の果敢なチャレンジ精神と技術的創造力さらには、必ず実現すると言う確固たる夢で、これを克服してきた。そして、そこには、強い絆で結ばれた熱い人間の集団が必ず存在する。
 錦帯橋創建のドラマは関ヶ原の戦いの後、優秀な多くの人材が岩国という小さな街に移封されたことに端を発する。1673年の錦帯橋創建当時、岩国の人的資源は日本全国のどの地域と比較しても抜群の状況であったことは疑う余地がない。若き技術者に託された架橋の大きな夢と期待は見事大成されるが、それを、信じ支え続けたスタッフとトップリーダーの人間模様はNHKテレビの大河ドラマの格好のテーマだといえる。
 
■中国の錦帯橋
 上海に近い浙江省杭州市に錦帯橋と命名された橋が今日も存在する。最初に命名された時代は明の万歴17年(1589年)というから、岩国の錦帯橋創建を遡ること実に84年である。
 錦帯橋のルーツが中国にあると聴けば、いてもたってもおられなくなる性分で、中国の杭州へは何度も足を運ぶことになった。岩国市長の親書を携え初めて訪れた杭州市の印象は、今でも明確に覚えている。それまで、全く手がかりのなかった杭州市人民政府の熱烈歓迎は後のアジア大会の公式文化イベントの開催へと繋がっていった。
 マイクロバスで案内された錦帯橋は岩国の錦帯橋とは姿形は全く異にしているが、欄干にくっきりと刻まれた錦帯橋の文字を読みとり、さらに現地の地図に錦帯橋と明記されているのを発見すると、これはただ事ではないと直感した。   吉川広嘉公と僧、独立との『西湖志』を通じてのエピソードは大変有名であるが、中国に錦帯橋と命名された橋が岩国の錦帯橋創建以前に架かっていたことをもっと多くの人に知っていただきたいと思う。錦帯橋は日中両国の交際交流の証なのである。
 
■バーチャルリアリティーと錦帯橋
 錦帯橋を創建した人々と今日では、バーチャルな世界で時を越えて対話が出来るようにまでなった。いささか、オーバーな表現と思われるかもしれないが、事実である。児玉九郎右衛門の熱い叫びを正しく受け止めたいものである。木と石と鉄の芸術である錦帯橋の創建物語はバーチャルトーキングによってかなりの情報が収得できた。
 さらに、創建当時の錦帯橋を再現し江戸時代の岩国に皆様方をご案内できる、と言うとどのように思われるであろうか。著しいコンピュータの進展がこのようなことを可能にさせてくれる。技術の創造と伝承をテーマにした、弊社創立50周年記念『錦帯橋展』でも公開させていただいたが、創建当時のコンピュータグラフィックスは、私たちを一気に江戸時代に引き込んで行く。お城山の樹木は今日の景観とは全く違う、錦帯橋だけがやけに目立つ江戸時代の錦帯橋周辺の風景に人々は驚嘆する。バーチャルリアリティーは今後、錦帯橋の全ての歴史をよみがえらせることが出来るであろう。
 
■建築学から錦帯橋を見る
 錦帯橋はもちろん橋であるから一般の学問的分野からすると土木工学の範疇に入る。しかし、この橋の架橋にとって重要な問題である設計学、生産学、施工学、構造学等々、さらには雨仕舞(あまじまい)学(このような学問も必要)の様な周辺技術の分野の学問をも考慮すると、むしろ建築学の範疇から論じた方が良いのかもしれない。
 当時の技術者を彼らが建築家であったか、土木家であったかを論じるのが主題ではないので、ここでは一般的に技術者と呼ぶことにする。とにかく彼等は並の技術者でないことは明らかである。
 錦帯橋の架構技術と今日の木造によるアーチ構築技術を比較するために、木造ドーム建築を見るとき、錦帯橋の架構技術は1673年に、もはや今日の技術レベルを取得していたと言っても過言ではない。いや、今日の技術より相対的には群を抜くほど世界のトップレベルであったことがわかる。当時の進んだ構造物はその多くが石造であり、世界を見渡したとき木構造を主体とした架構の技術はこの錦帯橋が世界の頂点であった。
 当時の技術者たちは、流れない橋を創建するために、多くを見聞したであろうが錦帯橋を類推させる資料は、当時全くなかったはずである。児玉九郎右衛門を中心とする岩国の技術者たちの輝ける独創性が錦帯橋を誕生させたとしか言いようがない。
 
■創建当時の錦帯橋は揺れた
 児玉九郎右衛門は錦帯橋の創建にあたり、橋体部分の設計施工の責任者としてその名を後世に残した偉大な技術者である。その児玉九郎右衛門と話ができたのでその一端を報告する。
(1)創建当時の錦帯橋は大変揺れました。私の実験と計算では力学的には十分頑丈なのですが、2橋3橋と渡って行き、アーチの中腹にさしかかると決まって揺れはじめ、冷や汗ものでした。それでも、揺れのために落橋する事はありませんでしたがずいぶん悩みました。思案の末ようやく延宝6年(1678年)例の鞍木と肋木で補強すると何とか揺れも収まりました。それでも若干は揺れていますが、もう気になりません。それは皆様方もおわかりですね。
(2)錦帯橋は木の角材と鉄の帯材(巻金)と同じく鉄の線材(釘、かすがい)と石で造ったもので、世界でも例のない構築物です。特に、角材を数本上下に束ねそれを頑丈な巻金で巻き、十分釘で固めて組み立てアーチを造りました。これが錦帯橋の成功の秘訣です。どうか皆さん、木材だけでは錦帯橋はできないんですよ。間違っても、全く釘を使っていない、などと言う真っ赤な嘘はつかないで下さいね。
(3)錦帯橋の下から見える5本の大きな組み立てアーチが出来れば、あとはそれが前後左右上下に動いたり倒れないようにいろいろな部材で補強しているだけですが、それは現代の技術と同じです。
 皆さん以上のメッセージいかがですか。
 
■錦帯橋の知名度
 ところで、岩国の人々の多くは、錦帯橋は世の中の誰もが、よく知っておられると、思っている。私は旅や仕事で出張すると必ずと言っていいほど現地の人々との会話の中に錦帯橋の話題を意識的に出す。さすが、山口県の近隣の県では確かに高い確率で錦帯橋は有名である。しかし、岩国を次第に離れるに従って、その知名度は、ほぼ岩国からの距離に反比例して減少していることに気付く。東北や北海道ではその知名度が一、二割ではないかと不安に思うことも、しばしばである。
 もっとも、私たちも日本各地の名所旧跡の認識度はとても低い。しかし、遠く離れていても富士山や上野の西郷さん、札幌の時計台等々は、かなり高い知名度だと思われる。これら著名と思われるものと直接錦帯橋を比較する事の是非はともかく、錦帯橋もそれぐらい知名度が高くなると岩国にとってはすばらしいことだと思っているがいかがだろうか。皆一緒になって、錦帯橋の知名度向上に努めたい。
 
■『岩国錦帯橋』という歌
岩国錦帯橋
一
錦の流れ 水澄みうらら
瀬戸の渚へ 夢運ぶ
清流つきぬ 源の
便り待ちます
錦帯橋
私の岩国 みんなの岩国
錦帯橋
二
明日に向い 大きなこころ
いにしえ人の 夢たぎる
岩国藩の 誇りとて
架けし偉大な
錦帯橋
私の岩国 みんなの岩国
錦帯橋
三
匠みの技と 心の力
熱き情熱 受け継ぎて
伝へし橋の 美しさ
世界の人へ
錦帯橋
私の岩国 みんなの岩国
錦帯橋
 
 いささか手前味噌になるが、『岩国錦帯橋』という歌を自ら作詞作曲をした。
錦帯橋の美しさ、錦帯橋を創建した先人の偉大さ、それを受け継ぎ江戸初期から今日に伝えた偉大な事実、そして、これを世界の人々に伝えたい、というあつい情熱等々を盛り込んだ歌である。
 幼い頃、歌は世につれ、世は歌につれと度々聞いた。確かに歌は人々の心の変遷を的確に捉えながら進化し、今日でも、人間には欠くことの出来ない文化的ツールとなっている。錦帯橋の美しさ偉大さ等々、あつい情熱を人々の心に刻み続けることの出来るツールの一つとして、どうしても錦帯橋の歌が必要になった。
 あたりを見渡しても錦帯橋の歌はそんなに沢山は存在しない。また先に示した、あつい情熱等々を盛り込んだ歌は残念ながら、この世の中には存在しなかった。世の中にないものは創らなければならない、という私の信条に沿って作詞作曲にかかった。皆様方に愛唱していただけることを切望するし、もっともっと多くの歌が創作されることを願っている。
 一つ旋律を創ると人的ネットワークで輪が広がり、琴と尺八による邦楽の編曲も完成された。こうして、さらに大きな錦帯橋の輪が出来て欲しい。
 
 
 
■ポップアップ錦帯橋
 かれこれ10年になろうか、やはり錦帯橋をもっともっと多くの人々に知っていただきたいと思い、あれこれと思考実験を繰り返す内に、ふと浮かんだアイデアが、錦帯橋を立体的にペーパークラフトにすることであった。ポップアップメッセージカードとして今日では様々なアイテムを世に送り出している。
 毎年数千枚の錦帯橋のポップアップメッセージカードが多くの人々の手元に届けられているが、これが実に効果的である。先日も鵜飼い船に乗り鵜飼いを楽しんでいると、岩国へは初めてとおっしゃる大阪の方と沖縄の方、さらには岩国で教師をされている英国や米国の方々に出会った、色々世間話をしているうちに錦帯橋のポップアップメッセージカードをプレゼントすると大変喜ばれた。小さな国際親善にもなった。
 写真の錦帯橋もすばらしいが、立体の錦帯橋をそのままのイメージで伝えることの出来るこのポップアップ錦帯橋を、もっともっと多くの皆様方に利用していただきたい。私の夢は、錦帯橋の渡橋券がこのポップアップ錦帯橋になることである。
 
■インターネットと錦帯橋
 現在の様にインターネット社会になると錦帯橋に関する全ての情報は、インターネットのホームページに整えておきたい。公的私的を問わず、とにかく錦帯橋の現存する全ての情報は、リンクされた一団として錦帯橋ホームページに納める必要がある。現在私は錦帯橋再発見のホームページ
(http://www.028028.com/kintaisai.htm)を開設しているが、なかなか評判が良い。インターネットには多くの検索システムがあるが、キーワードを錦帯橋と入力していただけると、このホームページにたどり着ける様になっている。インターネットは世界に通じている、英知を結集して錦帯橋のPRにつとめたい。
 
■錦帯橋の世界遺産戦略
 錦帯橋の価値は一言で言うと、世界的な技術の創造とその技術を向上させながらのたゆまざる伝承である。しかも、その伝承は326年の永きに渡り営々と続き、今日なお向上心に燃えている、と言うことである。
 確かに、過去の優れた建造物が、今日そのままの形で残っていることを絶賛する一つのシステムを、否定しようとするものでは決してないが、保存性能の観点から見ると、木材が直接風雨にさらされる錦帯橋の場合は極めて大きなハンディーがある。
 世界遺産の審査基準は、所詮人類が決めたことであり、その基準の見直しが人類にとって有意義であり、かつ今後の人類のためになることであれば、進んで見直すべきだと考える。今日のように、技術の改革、技術の創造が叫ばれているとき、錦帯橋は格好の材料である。アメリカはライト兄弟の実物の飛行機を大切にし、航空機産業の世界的覇者としての原点を明確化している。
 各国の大空間建築物の建造技術は、現在世界でしのぎを削っているが、その原点が錦帯橋にあることを今一度思い起こし、錦帯橋をぜひ世界遺産にしたいものである。
 
■錦帯橋架け替えと錦帯橋博物館
 今日錦帯橋の架け替え問題が注目されている。健全な錦帯橋が5橋一度に架け替えられるのは、錦帯橋の歴史始まって以来のことである。とにかく今回の架け替えが無事に進むことを念じている。
 未来を見つめ、私は錦帯橋の架け替えと、錦帯橋のPR、学習、技術の改革、技術の伝承、材木の調達、等々を全て考えあわせ、とっておきのアイデアにたどり着いた。それが、錦帯橋博物館である。その概要をまとめておく。
(1)実物の錦帯橋がすっぽりと収まる空間を持った建築物を錦帯橋博物館とする。
(2)その中で、40?50年かけて実物の錦帯橋をつくる。特に橋体部を創ることに重点を置く。
(3)材料の調達と乾燥は十分吟味して行うことが出来る。
(4)架橋の一部始終を一般に公開し観光と学習に供する。
(5)万が一錦川の錦帯橋に災害や故障が起きたときには、博物館の錦帯橋のその当該部分を解体し現地の復旧をする。
(6)当然過去の錦帯橋の博物的資料は全て取りそろえ保管、展示する。
 皆さん、いかがお思いであろうか、必要なのは人々の決断である。私はこの博物館は国立博物館に出来ると思っている。日本が技術立国を今でも目指すなら、実現するはずである。
 
■おわりに
 とりとめもない、文章になった。各項目ともいささか消化不良ぎみであり、メドレー式のカラオケみたいな感がする。しかし、大切なところは十分網羅しており満足である。これを契機に皆さんと、もっともっと錦帯橋についてお話しをしたい。錦帯橋に感謝!!
 

■錦帯橋









■■錦帯橋は大変美しい橋です。



■錦帯橋の位置




■しかしこのアーチ形状がカテナリー(懸垂線)で  あることはあまり知られていません。


■旅行で岩国を訪問され 錦帯橋を渡ったことがある  方も多いと思います。


■錦帯橋に関する思い出やメッセージをいただけると  幸いです。


■さらに、このアーチ形状に関して みんなで語りませんか。


■『錦帯橋のアーチ形状に関する基礎的研究』と題して日本建築学会で発表    http://www.028028.com/gakkai.htm




■錦帯橋の形状がカテナリーであることを  簡単に体験する方法  





■歌の中にもカテナリー  


 『五橋』(いつつばし)  



  

2007年4月20日金曜日

■美しい日本




■美しい日本

■美しい岩国

■美しい錦帯橋

■美しい心

■どんなものにでも『美しい』という言葉をつけると
 大変嬉しくなる。

■人間は誰でも美しいものにあこがれる。

■しかし、美しいものを創り出すことは難しい。

■さらに美しさをいつまでも保つことは大変難しい。

■景観を重視した街づくり  

  美しい日本を創るひとつの道である。

■手すりと運動


■手すりと運動

■人は加齢とともに自分の体力が低下することに気づく。視力や聴力もいわゆる体力の一つと仮定すると、それらは顕著に感じられる。

■足腰の体力低下も同様に進行してゆく。この低下を防止するためには、適度な運動をすることが必要である。

■足の屈伸運動は体力低下防止になるが、歳をとってくると、この運動が不安定になってくるので、手すりを掴みながら行うと安全である。

■肋木と言う体育機器もあるが、さまざまな高さのところに手すりが設置してあると、運動の効果が上がる。

■このとき格子状の手すり『テスリックス』は大変重宝な機器となる。

http://www.tesrix.com

  

■誰にでも使いやすい便利な手すり






■誰にでも使いやすい便利な手すり  

■L型手すりにはない、利便性を持っています。

■設置の悩みが解消します。




■加齢に対応できる手すりです。
    
■http://www.tesrix.com
 

■アレンジ

■アレンジ

■合奏の楽しみは色々あると思うが、音楽の楽しみの中でも合奏の楽しみは格別である。

■特に自分のレベルに合わせて、おのおのの感覚の中で満足できるのが良い。若いころには、バリバリの感覚で弾いていたつもりであるが、その時代の合奏の楽しみ方と今日の楽しみ方には若干の違いがあることに気づく。

■バリバリに弾けるほうが合奏の楽しみもバリバリと言いたいところであるが、必ずしもそうではない。ヨチヨチの演奏でも十分楽しいのである。

■音楽全体の流れを体で感じ、その中に溶け込むように入ってゆき、脳を遊ばせることさえ出来れば最高の喜びの中に到達できる。

■ではその秘訣はと言うと、なかなか教えられない。ここだけの話と言うことでそっと教えると、秘訣は『アレンジ』である。

■各パートにはパート譜と言うものがある。もちろん演奏には難解な部分や、意味不明の部分まで様々ある。ここで断っておくが、意味不明といっても自分にとって意味不明であって、一般には常識的かも知れない。

■とにかく様々あるが、作者の意図を曲げない程度に、自分にとって理解できる、最高のパターンにアレンジするのである。そうすれば、合奏は 音が苦 ではなく 真の 音楽 になる。

  

■日本の、これから

■日本の、これから


■NHKの『日本の、これから』という、討論形式の番組に出演する機会を得て貴重な体験をさせていただきました。
http://www.nhk.or.jp/korekara/

■タイトルが『日本の、これから』ということなので、日本の未来について、夢や希望を語り、計画や提案をするものと思っておりました。しかし、生放送ですから、企画どおりにはなかなか進みませんでした。

■番組のタイトルの『日本の、これから』と言うよりは『日本の、これまで』と言った流れでした。あと3時間くらいあると、『日本の、これから』についてもっと語れたと思いました。

■約3時間の中で私が発言(やや強引にですが)したのは、この番組は『日本の、これから』を話すのではありませんか、過去と現状を踏まえて、『日本の、これから』を皆さんで話しましょうという趣旨でしたが、これ一回きりでした。

■今回の続きを是非して欲しいと痛切に思っています。

■米国旅行記12th WORLD JAMBOREE

■米国旅行記 12th WORLD JAMBOREE
 <<懐かしい思い出>>
 ボーイスカウト岩国第2団

■ 友情のために
 日本の国旗を制服にとりつけた。日の丸は日本人にとってあまりめずらしくもないものだが、私にとって、自分の身につける衣に日の丸をつけたのは生れてはじめてである。私の制服にもいろんなバッヂがつけてあるが、しかしそれだけはなぜか私に告げているように思えた。それは、「おまえは日本国民の代表として合衆国のアイダホ州ファラガット州立公園にておこなわれる第12回ボーイスカウト世界ジャンボリーに派遣されることになった。それにおいておまえは私に恥をかかせないような行動をとり、日本の若人として立派に世界の友とつきあって来い」と。

■ ワイドゲーム
 ワイドゲームと僕たちが聞いてもなんだかまったくわからなかった。ただジャンボリー参加者にアルファベットを書いた大きなカードだけをくばっただけであった。ところがいろんな説明を聞いているうちにこのゲームの意図するものがわかった。それは先ほどくばられたカード、実はその1つのアルファベットはこの大会のテーマである。For Friendship「友情のために」のFriendshipを異国人であるスカウト1人1人のアルファベットにより構成するものである。つまりこのゲームに参加するとたちまち世界の友が9人出来るわけであるが、合衆国の参加者が約1/3いたのでまったく異国の9人の友を作ることは出来なかった。今もその9人の友の名前を覚えているが、特に印象に残っているのはドイツのデイター彼は身長が190cmもなる大きな人だったが、年はぼくと同じ17才、とてもスポーツマンらしい体つきだった。一方イギリスのピーターはいかにも北欧的な顔をしており帽子につけていた鳥の羽が印象的だった。 このフレンドシップのもとに生れた10人のグループはこの大会で約1,500組となるわけだが、今後それぞれの小さな世界であるグループの中だけでも平和を求めて行きたいと思う。

■ ボンダレイ湖
 ファラガット州立公園のそばには大きなボンダレイ湖があった。この土地の人の話によるとこの湖のおかげで住民たちは魚つりを楽しみその上、生活に必要な水を多量にくみ上げることができるそうである。だからこの大会中僕たちは水に不自由することは1度もなく、いつでもシャワー場に行くと冷たい水がいきおいよく出てきた。キャンプ生活においても水は大変重要なものである。 このように水が十分あると、たくさん雨が降るのかと思われるかもしれないが、期間中雨らしい雨はまったく降らず、地面は乾燥しきっていた。やはり近くにこの湖があるおかげだろう。 この湖でこの大会に参加したスカウトたちはみんな水泳やカヌーをこいでは楽しむことが出来た。やはり湖なので水温はちょっと低かったが、みんなはしゃぎまわって水と戯れた。そして南洋の土人だちが乗っている船、カヌーに乗ったが、これは2人づつのるのでチームワークがよくないと、直線に進んでくれない。どこかのカヌーは同じ所をくるくる廻っていた。 このように第12回ワールドジャンボリーが成功した大きなカギをこの湖は持っているように思える。人間生活において水は必要かくべからざるものだから。

■ 交歓と交換
 交歓というものはこのような大会においてもっともねらいとするものであるが、その方法はいろいろあり、国同士の交歓もありまた隊同士又班、個人といろいろな形式で僕たちは、外人との交歓につとめたが、ボーイスカウトの交歓において、交歓した相手の思い出となるような品物又はサインなどを交歓するのも又一つの楽しみでもある。 日本人はこの交歓において、合衆国のスカウトたちのスケールとは比べものにならないほど小さい。彼らV.SAのものどもは、交歓となると金属製のトランクに、いっぱいにチーフ、スライド、パッチ、バッヂなどをつめこんで、僕たちのテントのそばに来て、貿易?のこうしょうに入る。そうして、こちらがO.Kということになると彼らに、テーブルの上に、品物をならべさせ、貿易?がはじまる。そうして日本側からはよく、こけしとか扇が輸出され、外国からはバッヂ(ワッペン)などが入ってくる。ところでぼくは、この交歓を貿易と言ったが、そばで見ているとさながら異国人同士の貿易縮図に見えてくるのである。そもそも彼らもこれをトレードと言っている。(trode vi 貿易する)このような交歓が会場のあちこちで見られるのはあまり好ましくないが、それによって友情がつかめるのならいいのかもしれない。事実彼らも交歓を忘れていなかった。 このようにして交歓した品物を日本に帰りまた、彼らが自分の家に帰って、それを見る時、かつて自分たちが交歓と交換をしあった友のすがたを、思い出すことだろう。そして、ペンフレンドとなり永久に文通し合い又あえることを楽しみに、勉学に又スカウティングにはげむことだろう。

■ 宇宙飛行士とスカウト
 合衆国では多くの青少年がスカウト生活をおくっていると言われるが、そのことはたやすく僕たちにも納得がゆく。それは、見知らぬ街でばったり合った、同じ年ごろの人と話していて、きみは、スカウトですか?とたずねると、多くの人がyesと答える。 このことは宇宙飛行士においてもしかりである。この大会の会場には、ジェミニとフレンドシップが展示してありU.S.Aの宇宙飛行士の写真がすべてあったが彼らのうち約80%ぐらいはスカウト経験者だという話を聞いた。そんなこともあるからか、閉会式の時、カーペンター少佐が来られた。その際空中歩行機の実演があったが、それでこれから来る宇宙時代において、月世界などで活躍するのであろう。そのころには、スカウトの生活はどのようになっているであろうか。もしかしたら、月でワールドジャンボリーというぐわいになるかもしれない。それにしても、その飛行士の大半をスカウト経験者でしめているということは、何かすばらしい感じがする。

■ イエローストン国立公園
 世界中のだれでもが知っている公園と言うとあまりないが、イエローストン国立公園と言えばだれでも知っているだろう。ここはワイオミング州の北西にあたり、森と湖と山がうまく調和している静かな所である。合衆国のみならず世界の各国からここには多くの人々がバケーションを楽しみにやってくる。よく日本の公園はあちこちにちりやごみがおちており、とても息苦しいという話をよく聞くが、まったくそのとおりだと僕もここに来て初めて思った。ちりも落ちていなければ落とす人もいない。もし落ちていたら、だれかが拾うというぐわいだからよごれるはずがない。この点において我々日本人はおおいに学ぶべき所がある。 ここでは、日本のスカウトは、4人1組になって、ロッジにとまったがその数の多さ、そして設備のすばらしさにはおどろいた。しかしそのロッジを使用するのは外国の人が割と多い。アメリカではトレーラー式になった家のようなものを車で引っぱって行きその中で生活しながら1ヵ月間をすごしている人もいる。このような光景は日本ではちょっと見ることができないが、そのうちこのようになるだろう。

■ 日本人と交通道徳
 ある外人が日本に来て次のようなことを言ったそうである。 「日本の運転手は、信号機を見る時自分の前のランプが青になって進むのではなく、反対の道のランプが黄になった時、彼らは自動車を動かし始める」 僕はそれを聞いた時、日本人のおちつきの甘さと、他人にゆずる心・・・・さまざまなものがとりあげられるが、とにかく合衆国ではとうてい見ることのできないものであるから、その外国人がそんなことを言ったのもむりもないことかもしれない。それに僕の見た範囲だけでは日本の東京のように人が多くその上車もあふれるほどいるような町はどこにもみあたらなかった。それに彼ら米国人は計画的に道路とオフィス街、住居地の関係をうまくつかんで道をとりつけているので今後どんなに発展しても日本のような状態にはならないだろう。 それに道を歩いても路上で立話をしたり、多くの人が横に広がって歩くこともなくそれはゆったりしていた。日本は国土がせまいので・・・・と言うような事をいつまでも言っていては、今後いつまでたっても進歩はない。ここらでひとつ日本人の知恵をしぼって71年のジャンボリーまでにでも外国なみにしたいものである。

■ ソートレイクシィティー
 フォストファミリー(民泊)をするのは初めての経験だったが、外国人の生活、心、に直接にふれるためには、1番よい試みだと思う。僕は、グレート・ソートレイクでよく知られ、又世界一の露天ぼりの銅山がある? とでも知られているソートレイクでビル・モーア氏の家に3日間おせわになった。彼の家は地下一階地上二階というすばらしい建物だった。そして、車は3台、カラーテレビも持っている割と生活水準の高い家だった。又彼は1人の息子と3人の娘を持っていた。その中にジムという名の14才のボーイスカウトがいた。やはり彼とは、スカウト関係の事については話があった。彼は、趣味として洋弓をたしなんでいるらしく、僕にアローヘッドをくれた。又、こちらからは姫だるまをプレゼントしたが、その美しさには大変おどろいていた。そしてこのだるまを、すぐに熱帯魚がいるたなのすぐそばにかざった。やはりここでも扇を見せるとめずらしがっていた。(扇は合衆国にはまったくないかと思っていたら、香港製のものが店で売られていた) 一方この地方は昔から銅を多くほり出しているので銅細工・銅製器が銅山のそばの店には多くあった。ところでこちらで買物した時たまげたことが2つあるので述べておこう。その1つはこの国ではタックス(税金)があとからつくので定価のままで品物が買えると思ったら誤解を生じてしまう。つまりタックスが定価の約数パーセントかかるのでそのほうも頭に入れて買わなければならない。しかしノータックスの所もないことはない。2つ目は、この国のおつりの出し方である。日本だったら、もし70円の品物を買い100円はらうとすぐ30円とさし引、残高を言って返すが、彼らは70円80円・・・100円と10円玉をたして100円にまでかぞえるとやめてしまう。つまり日本とは、反対で彼らは引算をしておつりを返さない。 ところでこの町の名ソートレイクシィティーのゆえんはこの町にある大きな湖がありこの水がとても濃い塩水なのでその湖がグレートソートレイクと言われるようになり、又その湖の名をとって、ソートレイクシィティーとよばれるようになったのであろう。この町にはゴシック建築の大きな寺院とかユタ州庁とかいろいろ有名な建造物の多い町でもある。又ここに小さな動物園があったが、ちゃんと日本ざるのおりもあった。僕はそれを見た時何かうれしいような気がした。 この町を立つ前の日、この家族の人十数人で近くの山の中でバーベキューを楽しんだ。その時、僕と同じくギターを愛している18才のスカウトと友達になった。彼はギターをはじめて約1年ぐらいだと言っていた。この時音楽に国境のないことはすばらしいことだと思った。そうこうしている内に3日間はあっという間にすぎ、彼らに別れをつげた。その時彼らはこう言った。「ふたたび我々の国合衆国に帰ってきなさい・・・・」 僕はいつの日にかこの地をふたたびふむことが出来ることを信じて、この町を去った。

■ 長距離バス
 ジャンボリーが終って僕たちはこの国の西部諸都市を長距離バスで旅行したが、この車は大陸横断道路などをつっぱしる時は平均時速約110Km/hで走っている。しかし、車が大きくみわたすかぎり変りばえのしない平原なのであまりスピードを感じない。バスには40人乗ったが、とてもゆったりしていて長い時間乗っていてもあまりつかれない。それにバスの内に便所もあるので快適そのものである。 ところで平原について少々述べると、やはり米国、日本とは段ちがいで、みわたすかぎり平原ではるかかなたに低く山が見える程度の状態が数時間続くのには驚いた。このバスだが前から見ると日本のバスよりぶかっこうであるというのは座席の床の下が広いトランクとなっておりその中にリュックサックとかその他の荷物が入れられる様になっているので縦に長くなっているのである。そして又不思議に思うことがある。それは、日本なら車のナンバープレートは、1台の車に1個しかつけてないのは当然だが、このバスはちがう。数個のナンバープレートをとりつけていた。なぜならこの国の政治形態は州中心となっているので各州によって発行している。それが異なるのである。  したがって他の州に行く時はその州に入る許可証をとってさらにナンバープレートもついていなければならないのである。このような点は日本より不便である。

■ バスと運転手
 この国では運転手は10時間働くと8時間は必ず休まなければならないという法律があるそうだ。これには僕たちはまったくまいった。なぜなら、観光会社の段取が悪く、運転手の交たいがうまくいかず1日の日程がずれてしまった。彼らは自分の任務が終るとさっさと車から降りて行き食事をとり時間が来るまではいっこうに帰ってこようともしないのである。このようにしてはバスの中ですごしたのであるが、そうしているうちに、この中がよごれてくる。そしてよごれて次の日の朝バスに乗ってみるとまったくきのうのままである。つまり彼の考えは、自分たちは運転だけを忠実にしておれば自分の仕事は終わりだと思っているかのように思える。それも合衆国における物の考え方により必然的におこり日本人にとって納得の行かないものかもしれない。

■ 移住民と日本
 移住民といえば、日本の多く見られる町でしられているハワイ、ロスアンゼルスにはたくさんの日本人移住者がおり、その2世、3世も今ではぼう大な数となっている。 ところでハワイの72才になるおばあさんに聞いたいろんな話のいくつかを述べてみよう。彼女は51年前にハワイに渡って来たそうでこの島では割とふるい人である。もちろん、2次世界大戦中もこちらですごし、彼女の息子達は米国側について日本と戦ったそうである。そしてその戦は彼らにとって大変つらくかなしい戦だったそうである。かつて自分の母親がいた国、日本を相手にして戦った彼らの気持がいたいほどよくわかった。しかし、彼女らはいつでも日本が勝つように日本が勝つようにといのっていたそうだ。そしていつのまにか戦争が終り米国が勝ったと知らされてもまだ日本が敗けたような気はしなかったそうだ。 その後彼女らの心は変った。それは戦争まえは、いつの日か自分達は日本に帰れる、と考えていたのがこれによってもはや日本に対して背をむけた自分たちがどうして日本に帰ることが出来ようか。それよりこの国に一生とどまり日本人として立派に生きよう。という決心がおこり、この地に骨をうめるかくごができたそうである。しかし今でも彼らは日本をなつかしく思っている。そのしょうこに彼らの多くは米国本土には行ったことはなくとも日本に帰ってきたことのある人はたくさんいる。やはり彼らは日本をすてたのではない。いつでも彼らの心には日本に関係あるものが何らかの形でひそんでいる。 彼らは、米国を愛しつつ日本に対してもそうしているのだ・・・・。

■ 空と海のごとく
 空と海、この美しさを合衆国に来て、いっそう認識した。それは日本のように、ばい煙によごれることなく、また工場からながれてくるよごれた水もない。こんなことは、この国においてはまったく当然のことで、空を見ても海を見ても日本とはまるっきり色がちがう。したがって、山を見ても、島を見てもその美しさが一層ひきたつのであろう。その空のごとく海のごとく彼らの心もすんでいるにちがいない。それを証明したものがあった。 ロスアンゼルスに民泊した時のこと。僕たちはボーイスカウトのリーダーの案内でスカウトのキャンプ場であるファイヤーストーンを見学したが、その際、僕はさいふを落としてしまった。その中には割と高額なお金が入っていたので、僕たちはいそいでさがしたが、見つからなかった。しかたなくその場はあきらめて帰った。ところが数時間後その地において、スカウトの1人が僕のさいふを発見したという電話が入った。そして彼はそれを車でとどけてくれたが彼はお礼のなにものをもうけとらなかった。しかたなく彼の名前と住所だけを聞いて別れたがほんとうにスカウトらしいいい人にあえることができてよかった。 やはりこの国の人々の心は空のごとく海のごとくすんでいるにちがいない。
 この大会に参加して、スカウト活動のすばらしさと、B.Pの偉大さに感心した。もしこの大会をB.Pがごらんになったらどのようにおっしゃるであろうか。おそらく、「これこそ私のねらいとした、世界の若人のあつまりである」と。

■DCTの思い出

■DCTの思い出


■ 未来の建設の姿を車の街デトロイトで見た。
 デトロイトセンターツール(DCT)と言う会社は、私にとって大変参考になった。その理由は、この会社が主として、自動車の車体(アンダーボディー)に関する会社ではあるが、その全ての手法は完全に、建設の世界にアレンジして見ることが出来たからである。 従って、いささか場違いな見出しを付けた理由も、お分かり戴けると思う。そもそも視察とはこのように展開されてこそ意義のあることと思った。有意義な訪問先選定に感謝したい。

■ 先端のシュミレーション
 自動車の企画開発から、実施生産までには通常数年が必要とされていた。しかし近年、コンピュータ利用の飛躍的な向上によって、それが二年弱に縮められたと言うことであったが、DCTを訪問してその理由と実体がよく分かった。 DCTの急激な飛躍は、アメリカの大手自動車会社の、思い切ったアウトソーシングに支えられたと言う事実は確かにある。しかしDCTは、小規模ながら、大手の新車の企画開発製造に極めて深く関わっている。それは、ただ単にプロジェクトに関わりを持つと言う段階から一歩踏み込んでいる。すなわち、主導権を握った、専門的なコンサルタント活動が企画から製造にまでに及んでいる。さらに、実際の製造ラインを作って納め、実際の製造立ち上げまでの責任を果たしている。 この中では、製造中の人的ミスの発生を極力押さえる為のあらゆるシミュレーションがなされており、そのミスの98%までをも撲滅出来ると言い切った。まさに、先端のシュミレーション技術である。

■ 1:10:100の法則
 彼らが私の質問に対して執拗に繰り返した言葉がある。それは、『計画段階でのミスの事前チェックの完全実施』である。そしてこれについては、具体的な数字をあげて分かりやすい説明をした。もちろん、数字の詳細はともかく彼らの品質管理とコスト意識の具体性を明確に示すものとして、印象に強く残った。それは、『1:10:100の法則』である。よく、労働安全の話ではハインリッヒの法則と言うものを聞かされるが、その比率とは多少違う。しかし、心の置き方は、ほぼ同じである。 この法則を以下に説明する。
◆設計、企画段階における、エンジニアの些細なミスは、この段階での対応ならば1$もあれば完全に修復できる。
◆しかし、そのミスが工場の段階まで残っていると、それを修復するには10$のコストになる。
◆さらに、そのミスもつぶし損ねてユーザーの所にまで渡ってしまうと、たちまち、これは100$のミスとなってしまう。これは、あくまで比率の問題である。同じものが大量生産される自動車の分野では、もっと大きなダメージであろうと思った。何はともあれ、この考え方は、建設の世界でも全く同様なことが言える。

■ バーチャルとリアルの一体化
 最初の企画設計の段階と、工場生産の企画段階の双方に関わり、しかも、実際の製造ラインを造るという手法は、建設の設計施工というスタイルに似ている。設計と言う夢のバーチャル化と、施工と言う夢のリアル化が一体となった『もの造り』は、私の求める理想の形態である。多くが1品生産の建設だからこそ、バーチャルとリアルの一体化が求められている。 データベースに立脚したこのような手法が、建設において実現出来れば、これは革命である。未来の建設のあり方を、車の街デトロイトで見た。
  

■心の不動産

■心の不動産

■ はじめに
 昨今、バブルの崩壊と言う言葉には新鮮みがなくなってきた。ビッグバンとかブッリジバンクとか様々な時代用語が飛び交い、さながら明治初期の文明開化の時のようである。文明開化は我が国にとって正にビッグバンであったと思う。平成の文明開化の、この時期に、不動産の仲介業を営みつつ思うことを綴ってみた。

■ 趣味の多様化
 彼方の趣味はと聞かれると返事に戸惑う。以前は、即答で古典ギターです、と答えていたが、最近はそれだけではすまされなくなった。ピアノにヴァイオリンそしてチェロが加わった。一時期はカラオケも趣味の一つにしていたこともあるが、最近はこれを除外している。とにかく、趣味の多様化が始まった。小さな趣味ビッグバンである。

■ 時を忘れるもの
 私の趣味の第一はどうみても、音楽の領域をなかなか出られない。音楽以外の趣味は、読書と書道である。これに関連しているが、漢字の歴史と語源の研究も最近は趣味と言うことが多くなった。 旅行は趣味と言うより学習と言った方が正しいのかも知れないが、趣味と言えば趣味である。世界中を隈無く巡って見たいと思うがこれにはまだまだ時間がかかる。趣味は時の関数の中にあり、しかも時を超越し、自らにとっては時を忘れるものだと思っている。

■ 錦帯橋
 錦帯橋は私の心をなぜか捕らえて放さない。錦帯橋の事を考えていると時を忘れる。これも趣味である。また、巧みの技の象徴とも言える、錦帯橋は私に多くの心を語り続けてくれる。話し相手かもしれない。私の遺伝子の中にそうさせる何かがあり、スイッチが入ってしまっているとしか考えられない。

■ 脳と遺伝子
 私の趣味と言えるか、興味があり徹底的に調べている事に脳と遺伝子がある。これに関する本を徹底的に読みあさっている。このテーマに関しては出来るだけ最新の情報が重要である。21世紀は脳の時代とも言われている。これを趣味にするのは未来的かも知れない。とにかく、脳を造り上げる遺伝子はさらに神秘的である。趣味の種は尽きない。

■ 不動産
 ところで、不動産というと堅いイメージがあるが、我が国では価値の象徴である。多くの不動産を持っている人は一般的に資産家である。不動産が価値の象徴であるから、担保価値を生み、これから流動的な資金を調達することができる。実にすばらしい不動産である。従って、この不動産の売買や賃貸借の仲介は実に重要な業務である。

■ 心の不動産
 なかなか不動産を持てない者のやっかみか、僻かはともかく、私は心の不動産と言う概念を設定し、これを大切にしている。心の不動産とは、心の中にあって、実際の不動産の様に価値在るものである。なかなか唐突な表現であるのですぐには御理解をいただけないかも知れないが、いくつかの例を紹介しておく。

■ 努力する能力
 心の不動産の内、一等地に在るものは『努力する能力』である。多くの心の不動産があるが、なんと言ってもピカ一は『努力する能力』である。思考と行動を兼ね備えた人類にとって、様々な環境変化への適応能力の充実は、最も重要な課題である。とりわけ、ビッグバンと呼ばれ激動的な環境変化の時代にあっては、何方にも御理解いただけると思う。『努力する能力』があれば、事は解決する。環境適応に向かって、限り無く『努力する能力』があればどんな難問も必ず解決する。○○○に向かって、限り無く『努力する能力』があれば、○○○は必ず解決する。

■ 心の別荘地
 趣味は心の不動産の内、別荘地にあるものかもしれない。別荘なぞ夢の又夢と思い込んでいる者にとってはバーチャルの世界に行けばよい。目を閉じてチェロを弾いていると、そこはドイツの小さな町の教会である。バッハが心の中に描いた熱い思いは二百数十年の時を超越して私の細胞をときめかす。

■ おわりに
 心の不動産は本当の不動産であろうか。土地は天変地変がない限り地上に永遠に存在する。心の不動産は人の命ある限りの限定版である。人に惜しげもなく分譲し続けなければ瞬く間に消滅する。しかし、だれにでも分譲や譲渡できるわけではない。 心の不動産にも、優秀な仲介業者が必要である。絶大な価値があり、仲介を必要とするので、心の不動産も不動産の様なものである。

  

■『タイタニック』の舳先と『ドライウォーター』

■『タイタニック』の舳先と『ドライウォーター』


■ はじめに
 私の生き甲斐の一つは、世の中にないものを造ることである。『もの』といっても形あるものばかりではない。

■ 『タイタニック』
 さて、先日映画の『タイタニック』を鑑賞した。理由は、二つある。一つは、非常に良い映画だということである。もう一つは、かなりの部分がCGを駆使した映像でなかなか実写と区別ができない程の出来栄である、という理由からである。

■ チャレンジ
 CG製作者の弁では、CGと実写の区別は素人には見分けがつかないだろうという。たしか、以前TVでそのように放送していた。ところで、今回の鑑賞はチャレンジでもあった。どの部分がCGであり、なぜそれがCGであるのかを、一つひとつ分析をしながら、約3時間を全く居眠りもせず見入った。

■ 最高峰の映画
 噂のとおり実に感動的な内容であった。とりわけ、イントロの音楽には引き込まれるようであった。また、ストーリーとカメラワークにも堪能した。3時間があっという間であったのは作品の優秀性のためである。

■ 『海』
 ところで、映画の中で『海』は主役にも匹敵する重要性で登場している。部分的には『海』は『水』として表現されている。CGの腕の見せ所もこの点が勝負どころであった。私はここに焦点をおき全精神を集中させた。

■ 分かった!『ドライウォーター』
 私は、違和感を覚える部分部分を丹念に考察し結論を得た。『ドライウォーター』すなわち『乾いた水』と言う言葉が脳裏に浮かんだ。自然界ではあり得ないものを造り出すとき、そこには、やはり新しい感覚が呼び起こされる。私は『タイタニック』を見ながら自分の手を液体窒素に突っ込んだときのことを思い出した。これは『ドライウォーター』『乾いた水』だと。

■波がかかってもぬれない舳先
 すなわち、海原を切り進む『タイタニック』の舳先が全く濡れないのである。皆さん、もし機会があったらもう一度『タイタニック』を見てほしい。

■ おわりに
 海原を切り進む『タイタニック』の舳先が全く濡れないのがやたらと気になりながらの鑑賞ではあったが、反対に私の目頭は潤むばかりであった。作者は、それを見越していたのだろうか・・・。おかげで、また『ドライウォーター』と言う新しい言葉を造った。新しいものを発見し続ける夢はいつまでも持っていたい。

  

2007年4月18日水曜日

■錦帯橋の釘

■錦帯橋の釘


■はじめに 
 最近でも多くの方々が『錦帯橋には1本の釘も使っていない。』と、おっしゃっている。しかし彼らは、実際にそれを確かめているわけではない。どこかで聴いたとか、印刷してあるものを読んだと言う方が多い。中には渡ってみると敷き板や、段板には沢山の釘のようなものが打ってあるように思いましたが、あれは釘ではないのですか、とか、ひどいものになるとあれは『和釘』で釘ではありませんと平気で言う方がおられる。何とかしなければならない。

■『リカルチャー』 
 『錦帯橋』の平成の架け替えが始まった今日、事実は事実として『錦帯橋の釘』問題は解決しておきたいと思う。かつて、錦帯橋再発見と称して様々な取り組みがなされたとき、錦帯橋に関するリカルチャーディスカッションが開催された。ちなみに『リカルチャー』とは私の造語で、既成の文化を再構築、再検討、再教育、再学習しようと言う意味である。すなわち、ターゲットは『錦帯橋の釘』に関する大きな間違いをただすための言葉でもあった。

■『錦帯橋の釘』とロマン
 そのリカルチャーディスカッションでは様々な発言が出たが、今でも印象的な言葉を上げると次のようなものである『1本の釘も使わずに錦帯橋が出来ているというのはロマンである、貴方はそのロマンを壊した。』と言うものである。『錦帯橋の釘』は現実からかけ離れてロマンの世界で語られる様になっていたのかとそのとき思った。

■児玉九郎右衛門のロマン
 私はそのとき、この『錦帯橋の釘』を無視することは創建者児玉九郎右衛門等を著しく冒涜する行為であると断言した。『錦帯橋』の創建の苦しみを知らない無知な人々の愚かな行為が『錦帯橋の釘』の重要さを歪曲させて今日に伝えたと断言をした。 それを契機にして、岩国市の『錦帯橋』の案内文やアナウンスは修正され今日に至っているが、様々な印刷物や本が一人歩きをしており未だ完全には修正されていない。それどころか、今日の錦帯橋架け替えに併せていろいろな紹介がされるたびに、間違った表現が目立つようになってきた。 さらに、最近では再び『釘には頼っていない』と言うような全く真実を無視した発言も出てきているので、あえて本文をしたためたというわけである。『錦帯橋の釘』は児玉九郎右衛門のロマンである。 

■木と鉄のハイブリッド構造
 木組みの『錦帯橋』と言う表現が先行し、極めて巧みな技巧で『錦帯橋』が造られている様な錯覚を植え付けている。構造学的に言えば第2,第3,第4橋は橋台を除けば『木と鉄のハイブリッド構造』である。児玉九郎右衛門の創建の思いは極めてシンプルな『木と鉄のハイブリッド構造』である。それは、創建当時の『錦帯橋』には鞍木と助木(肋木)が取り付けられていないことを見ても明らかである。そしてそれを実現したものが『錦帯橋の釘』すなわち児玉九郎右衛門のロマンの釘である。

■『錦帯橋の釘』は児玉九郎右衛門の誇りと自信の支え
 すなわち、鞍木と助木のない創建時の『錦帯橋』はカテナリーにそったシンプルな形状であったことが分かる。これは、とりもなおさず、発明した『巻金と釘による木材の組み立てアーチ』への高い自信と誇りでもあった。つまり、児玉九郎右衛門は当初から『巻金と釘』に自信と情熱を持っていたことが分かる。その『錦帯橋の釘』に対して今日の我々は正しい評価をして差し上げるべきである。 

■おわりに
 おわりにかえて『錦帯橋』に対する誤解一覧を列記する。『錦帯橋の釘』だけでなくこんなに誤解がある。

『錦帯橋』に対する誤解一覧
  ■釘を使わない方が優れていると思う誤解
  ■巻金だけで効果が現れていると思う誤解
  ■鞍木が適当に配置されていると思う誤解
  ■鎧桟(蔀桟)が適当に配置されていると思う誤解
  ■鼻梁、後梁等が適当に配置されていると思う誤解
  ■大棟木の下端のカーブが適当なカーブと思う誤解
  ■1674年から1950年まで風雪に耐えたと思う誤解
  ■カーブが円弧であると思う誤解
  ■錦帯橋の揺れ方の誤解
  ■橋台と橋脚の区分の誤解
  ■現橋が創建時と同一と思う誤解
  ■技術を進展させることが文化財としてマイナスと思う誤解
  ■その他 
 
 私は誤解を解消し真実を伝えることの重要さをつくづく感じる。数年前岩国西ロータリークラブではリカルチャー運動をし、『錦帯橋再発見』という小冊子を発刊した。その小冊子は当時の岩国の小学生高学年、中学生全員にお届けした。この中に『錦帯橋』は『木と石と鉄の芸術』と強く訴えた。平成の架け替えを契機に『錦帯橋』のさらなる理解を願いたいものである。最も誤解を生むぐらい『錦帯橋』のことをまず思っていただきたいとも思う。 

■ヒューマン受容体

■ヒューマン受容体とは聞きなれない言葉である。

■もちろん世の中には無い。

■人間を受け止めるもの。

■そのような機能を持ったものをこれからの高齢化社会は
 確実に必要としてくる。

■従来の常識では考えられないものである可能性が高い。

■その一例がテスリックスである。

■ヒューマンカイン & サイトカイン

■ヒューマンカイン & サイトカイン 

■最近気になる言葉に  サイトカイン なるものがある。  

■細胞作動因子と訳される サイトカイン で  あるが、なにやら人間の体のコントロールを  しているらしい。

■現在数百種類のサイトカインが発見されている  そうであるが一般人にはなかなか理解が  難しい。

■私はサイトカインにならって 私の造語であるが  ヒューマンカイン なるものが 研究されると  よいと思う。

■人間作動因子 それは 言葉であったり、物理的  刺激であったりすると考えられる。

■人の一生は ヒューマンカインやサイトカイン 探求の旅であるともいえる。   


■■■■■■■■■■■  ヒューマン受容体

■接着する手すり

■接着する手すり


■タイルの面に最適


■防水層を傷つけません

■手すりに関する感動的な文章

■手すりに関する感動的な文章


■福祉の手すり

■見事な手すり

■お風呂場の改修工事これは見事です。

2007年4月17日火曜日

■児玉九郎右衛門の匠の技と情熱ここに復活



■児玉九郎右衛門の匠の技と情熱ここに復活
*** 錦帯橋の原寸型板 ***
■今日の人々は誰も1673年に創建された『錦帯橋』を見たことはない。今、私たちが見ることの出来る実際の『錦帯橋』は、昭和28年に再建された『錦帯橋』である。この『錦帯橋』も今年(2001)が見納めである。キジヤ台風(1950)で流された1世代前の『錦帯橋』は擬宝珠が付いた欄干の一部や組み立てられた桁の一部が保存されており、現在でも、岩国の徴古館にて見学する事が出来る。また、新しいものではあるが型板も大切に保存されている。

■『錦帯橋』の図面については、創建時のものは存在していない。しかし、1699年の図面をはじめとして今日の『錦帯橋』まで、かなりのものが残ってはいるが、十分ではない。これらを今日じっくり解読してみると、これらの図面は、様々なことを私に語りかけてくれる。一部は、先人達との声なき対話である。謎解きみたいではあるが、私なりに解明した、その中のいくつかをここで述べてみることにする。先学非才故誤りを述べるかもしれないが、続かれる研究者の方々のご教示を願う次第である。

■まず時代を昭和28年の再建当時に合わせたい。当時は、今と比べて遙かに物やお金が不足していた時代と思う。しかし、それにしては極めて短期間に再建を実現させた当時の岩国の先人に今更ながら頭が下がる。本来流されるはずがないと考えられていた『錦帯橋』が、キジヤ台風と言うまれにみる災害によって惜しくも流された事による再建であり様々な安全対策が設計に取り入れられた。しかし、翌年には、さらに大きなルース台(1951)が岩国を襲いその水かさを丹念に研究され急遽設計が変更されたと聞く。当時を知り実際に『錦帯橋』の図面を描かれた技術者の方のお話を聞いても、当時は今日のようなじっくりと『錦帯橋』の構造や美しさを愛でながら工事を進めると言うわけには行かなかったと推察できる。

■世はまさにIT革命とまで言われる時代である、IT恩恵を十二分に受け、落ち着いた中での『錦帯橋』架け替えは、『錦帯橋』の歴史始まって以来の事である。私の持論であるが、この架け替えを『錦帯橋の考察的架け替え』と表現しそれなりの成果を残したと思う。今から、また半世紀後の世界の人々へ送り届ける岩国の『錦帯橋』は、いかにして架け替えられる必要があるのか、多くの人々に関心を持っていただきたいと思う。

■私は、自分の興味の湧くいくつかの時代の『錦帯橋』の姿を仮想空間の世界に完成させている。まさにITの恩恵である。また、『錦帯橋』のいくつかの疑問や問題点については、思考実験による考察に加え、実大実験や模型実験を繰り返しながら解明している。表現を変えれば、それらは全て、『錦帯橋』の『構造』と『美』についての探求である。 研究途上ではあるが、今回の架け替えの重要な時期すなわち、『錦帯橋』の原寸型板を製作する時期になったので、この研究の成果を『錦帯橋』架け替えの関係者にお伝えした。さすが経験豊かな関係者はすぐに御納得いただいたが、ここにそれを報告しておく。

■図面を対比させながらお話申し上げるのが最も良いことではあるが、お許しいただきたい。ただ『錦帯橋』の構造にいささかなりとも興味をお持ちの方々には、これで十分だとは思う。1.昭和28年に再建された『錦帯橋』の原寸型板や図面は構造部分を重視したものであり、『錦帯橋』の完成時の姿を十分には反映されていなかった。2.今回は『錦帯橋』の完成の姿を最優先とし、アーチを形成する構成要素としてカテナリー(懸垂線)を採用する。従って、手すり、敷き板、段板、鞍木のV状の下端を連ねる線等々がカテナリーによって配置される。3.鼻梁は『錦帯橋』1スパンをカテナリー上を21等分したしかるべき位置に配置し、鎧桟は鼻梁を中心にカテナリー上をさらに半分の42等分した位置に配置する。4.後梁は鎧桟と鎧桟の中心に突き出て通称『はと小屋』が形成される。5.大棟木の下端を形成する曲線もカテナリーである。6.その他ここで述べていないことはさらに研究を進めたり、従来の手法にならうことは言うまでもない。

■私は、これが実現すれば、『児玉九郎右衛門の匠の技と情熱がここに復活』と高らかに宣言できる。思い起こせば電気もコンピュータもない江戸時代にこのような高度な『錦帯橋』の『構造』と『美』を同時に獲得した匠の技の神髄は、自然に逆らわず自然に忠実な、まさに『構造』と『美』の原点にたどり着いた結果である。だからこそ、『錦帯橋』の『構造』と『美』は、今日でも非の打ち所のないものと賞せられるのだと思う。

■手すり白書


 (写真-1)L型手すり           自由度が少ない


(写真-2)『テスリックス』          自由度が多い














手すり白書

■はじめに  高齢化社会の到来はもはや他人ごとではなくなってきた。日本では団塊の世代が75歳を迎えるこれから二十数年後がピークで、その後約25年間は、日本国中で、75歳以上の方々が約1900万人と言う時代を迎える。ざっと5~6人に1人は75歳以上の超高齢化社会である。よく65歳以上の高齢者と言う表現が使われるが、私は75歳以上の方々をもって高齢者と表現する方がよく合っているように思う。最も、今日では75歳以上の方でも、まさに超お元気な方々も沢山おられる。
■いつまでも元気がいい  さて、残された人生を誰もが豊に自由に過ごしたいという願望を持っている。しかし、実際には、加齢と共に訪れる様々な変化は、容赦なく、私たちの体力や健康状態に変化をもたらす。油断していると、加齢と共に加速度的に、進展してくる。気が付いたときには手遅れとならないようにしたい。いつまでも元気がいいに決まっている。
■一人で出来る?  要介護度の認定では様々な観点から、その要介護の度合いが区分されている。私はもっと簡単にとらえている。重要なことは、自分がしたいと思うことが、一人で、できるかどうかである。 その程度がどのようなものであれ、一人でベットから起きあがれるかどうか、自分一人で歩いて目的の場所へゆけるかどうか、自分一人でトイレを使うことができるかどうか、自分一人で入浴できるかどうか、自分一人で食事ができるかどうか等々ということが満足されればまず問題ない。
■福祉機器としての手すり  このとき、道具を使えば、一人でもできると言うことであれば。これも、一人で出来ることに違いはない。一人で出来ること、これが自立である。 例えば、それが手すり1本でもあれば可能であるならば、その手すりは立派な自立を実現する福祉機器である。ハイテクに頼る福祉機器が盛んに研究開発されているが、手すりの様な、基本的な分野にも、もっと注目がなされてもいいと思う。
■自立  ここで自立と言う言葉を使ったが、その根本をさらに追求してみると、自立のために『ハッキリと自分の要求が相手に伝えられること』がまず重要と思う。本来介護はこの自立が阻害された方々の為のものであると信じている。従ってこの定義からすると、痴呆や脳の機能低下によって、ハッキリと自分の要求が相手に伝えられない人々の介護がもっと重視されるべきである。
■手すり生活  手すり生活と言う聞き慣れない言葉を使ったが、手すりがなければ不自由な人々の生活と定義しておく。私は全ての人にとって、手すり生活のチャンスがあると思う。健康なときの人間の各機能をそれぞれ個人差はあるが、その個人にとって100とすれば、当然死亡によって、それらは0になる。ある時期から加齢は着実にその100あるものを漸次低下させる。 事故や突発的な現象で手すり生活ができない人もおられるが、幸運にも90歳100歳と齢を重ねてくると、どうしても手すりが必要となる。足腰が弱っても、条件が許せば、いろいろな行動をしたいのは世の常である。工夫された手すりは確実にその要求の何割かを満たしてくれる便利な道具である。
■道具の進化  昔の洗濯板を覚えておられるだろうか、まな板より少し大きくて、少し薄い木材の板の表面を、ノコギリ状に加工したものである。ところで、この洗濯板が全く見られなくなったのは、電気洗濯機の出現によるものであることは当然である。 この電気洗濯機もずいぶんと進化した。当初は洗うだけの機械であったが、その後、ローラー式の絞り装置を併設した洗濯機が出現した。次は、遠心力による脱水装置の出現である。今日では乾燥まで完全に自動化が実現している。 これを道具の進化と呼ぼう。
■心  道具や機械を使うと、心がこもらないのか?と言う疑問を投げかける人がいる。福祉や介護には特に多くの人手を掛けて行う方が、心がこもっていいのだろうか。洗濯板を使って洗濯をしているときの人の方が、現在より、ずっと心が優しかったのであろうか。皆様方はいかがお考えだろうか。道具を進化させ、心のこもった道具を生み出すことこそ人間の重要な仕事ではないかと思えて仕方がない。心のこもった手すりと言う概念で手すりが注目を浴びた時代が今までになかったように思える。 
■福祉文化と文明  少々大げさな見出しを付けたが、この国における福祉文化は始まったばかりであり、まだまだ黎明期と言っても過言ではない。与えられたものが真実と思いこみ、何ら疑いを持たないのが現実である。多くの人々は、様々な疑問点を追求しないまま従来通りという免罪符で通り過ぎている。現実には問題点が認識されているのに、社会全体の仕組みが、この福祉文化進展の機運にない。ましてや文化を支える、福祉文明の進展もしかりである。
■L型手すりの不思議  そろそろ、本題に入ろう。今日、ほとんどの高齢者、障害者対応のトイレには、L型手すり(写真-1)が取り付けられている。どの福祉の街づくりのハンドブックを見ても一様にこのようになっている。 個人住宅でも、公共建築でもほとんど同じ考え方が普及している。私はこの事実一つを取ってみても福祉文化福祉文明の進展の遅れを指摘せざるおえない。身長差、体力差、体型差、加齢に伴う体力の変化等々のどれを考えても、1つの条件で設置されたL型手すり1本では対応しきれないことは明らかである。それにも関わらずL型手すりは高齢者、障害者対応のトイレの万能選手として定義づけられている。全く不思議なことである。
■『テスリックス』  結果は、コロンブスの卵であったかもしれない。格子状にした手すり(写真-2)を開発した。ネーミングも手すりとマトリックスのミックスである。どこでも掴める手すりである。壁中を手すりにも出来る。しかも美しくアレンジできる。認知されればL型手すりに取って代わることは確実と思う。 長年の異業種交流と協同組合方式の研究開発であった。今日弊社が販売の責任を受けて展開している。最近、介護保険による住宅改造でも盛んにお声を掛けていただけるようになってきた。また、新築された老人ホームの全館にこれを付けていただいた所もある。岩国に出来る最新の老人ホームにも沢山設置していただけることになった。きらら博でも活躍しているこの手すりに福祉文明開化の夢をかけている。福祉文化の進展に貢献できればと念じている。
■おわりに  『たかが手すり、されど手すり』とお伝えしたい。人体の動きを司る脳の多くの部分は手のためにあると言われている。その手の握る手すりのことを私たちはもっともっと知る必要がある。手に感謝の気持ちを込めて・・・。 気が付いたときには自分の体が満足に動かせないと言うことになりかねない。健康な今のうちに我が家の『手すり白書』でもしたためてみませんか。
     
  

■デジタルカメラ待望の画期的なアイディア


■新システムのデジタルカメラ※特許登録となりました。
この特許で、
縦位置、横位置の混在した撮像データでも
自動的に
画像の天地が、正しく整頓されます。
すなわち
■インデックスプリント
■モニター上のサムネイルに
最適です。
これはデジタルカメラの革命です。

■ 杭州・岩国錦帯橋友好橋(姉妹橋)調印式


■錦帯橋


■美しい錦帯橋
 さまざまな姿を見せる錦帯橋
 川面に映る錦帯橋
 静かな川面
 屋形船
 少し緑の見える桜
■春の錦帯橋は美しい

■ホワイトハウス


■ホワイトハウス
 真っ白い一枚の紙で創られたホワイトハウス


■そのほか  ポップアップの作品

 

■美しかった 原爆ドームの元の姿


 その元の姿はこのように美しいものでした。
 

■岩国の宝   宇野千代さん


■宇野千代さんの燃えるような生き方に感動します。
 日本がまだまだ荒廃から立ち上がりかけていたとき
 宇野千代さんはパリの街をさっそうと歩いていました。
 日本の文学とファッションに多大功績を残し、
 生きる力を今に与え続ける宇野千代さんは
 岩国の宝です。

■http://www.unochiyo.com

■錦帯橋


■錦帯橋の美しさはその自然なアーチ形状にあります。
 その形状は カテナリー(懸垂線)といいます。
  

■誰にでも使いやすい福祉の手すり


■誰にでも使いやすい福祉の手すり
  
■L型手すりにはない、利便性を持っています。
    
 

2007年4月9日月曜日

■チューリップ


 

■庭のチューリップがほころんでいる。


■光を浴びた花弁の透明感がすばらしい。

  

2007年4月8日日曜日

■桜の花に思う

■華やかな桜の満開であるが、
 その花びら一枚一枚は実に清楚で可憐である。

■一枚の花びらが集まり一輪の花になり、
 それが樹木一面に広がったとき、あの満開の華やかさになる。

■そして満開になるやいなや、一気に散り、
 そのクライマックスは終わる。
 しかし、生命の営みは終わらない。それからまた
 美しい葉が出て、秋には紅葉し、次の開花に備える。

■これが日本の美しさの原点と思う。
 美しい日本を築くため、
 まず四季と共演するライフスタイルを再考したい。