2007年9月6日木曜日

■錦帯橋とカテナリー ■短い鞍木 ■錦帯橋の偽 ■世界遺産のためになすべきこと 

平成の錦帯橋 中央部の鞍木が短い
鞍木カテナリー座標から外れている


昭和の錦帯橋 中央部の鞍木が正しい
鞍木カテナリー座標に乗っている


■岩国の錦帯橋にも世界遺産化の話題が多くなってきた。
■ところで 美しい錦帯橋のアーチを研究した論文は土木学会や建築学会にいくつか提出されているが、そのどれを取ってみても大きな疑問点を解決していない。
■錦帯橋の創建者、児玉九郎右衛門がいかにして錦帯橋の詳細なアーチ部の図面を描いたか、と言う疑問点が未解決のままである。
■さらに錦帯橋のアーチ形状を3つの円弧で近似するという大きな間違いを論文で述べておられる方もある。
■正解は錦帯橋のアーチ形状はカテナリー(懸垂線)である
■カテナリーとは鎖を両側から垂らしたカーブである。これが錦帯橋のアーチなのである。
私の論文ではさらに全体の構造設計の解明をしている。
■1673年に児玉九郎右衛門が錦帯橋を創建し実に三百数十年ぶりに解き明かされる錦帯橋の創建の真実を是非ごらんいただきたい。
■技術立国を目指す日本にとって、錦帯橋創建は技術史上の重要な事実として再認識する必要がある。
■今後の錦帯橋世界遺産化に向けても、このことは重要なテーマと思う。
■錦帯橋創建の同時代ヨーロッパではニュートンが大活躍していたが、彼に勝るとも劣らない超人が日本に存在したことを、世界にアピールしたいものである。
■もちろんレオナルド・ダ・ビンチにも勝るとも劣らない。
■偉大なガウディーもサグラダファミリアでカテナリーを利用したことは知られている。しかし、それを越える遙か昔に日本で、錦帯橋が児玉九郎右衛門によってカテナリーを利用し創建された事実は特筆すべきである。
■この児玉九郎右衛門による錦帯橋創建の真相が、なぜ今まで解明されてこなかったのであろうかか。
■理由はいろいろ考えられるが、私は一つの結論を得た。
■それは、児玉九郎右衛門の天才的な錦帯橋創建技術の全てが型板と言う定規に移し替えられ、また橋の部位の主要な位置がXY座標に置き換えて伝承されたがための結果と考えられる。
■実際には錦帯橋はカテナリー座標とも表現できる空間の中に存在している。
■平成の架け替えは十分な時間を持って行われる歴史始まって以来の出来事であった。創建の知恵を再発見し、型板を伝承しなくても、型板をいつでも作れる匠の技を伝承すべきであった。
■私はこのことをたびたび申し出たが、関係者は聞く耳を持たなかった。
■実に残念である。
■型板のコピーには誤差が紛れ込む。事実平成の錦帯橋にはその誤差が出てしまっている。担当した棟梁も最初の第3橋で大失敗をした。
■彼らが作った原寸図画が間違っていた。
■それはそのまま新しい錦帯橋に写された。
■今その様子は現地で見ることが出来る。 (写真参照)
■これは失敗のごく一部である。
■錦帯橋の創建時の姿を大切にするためにはカテナリーを理解する必要がある。
■これは錦帯橋の世界遺産化に向けて重要なファクターになる。
■2008年1月に錦帯橋の世界遺産化に向けての会合があると報道されているが、関係者は十分注意されたい。
 
      ■1mcc.com     テスリックス
 




 


1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

錦帯橋について検索してきました。
世界遺産に値する技術があるという点、勉強になりました。
しかし、個人的には世界遺産になるのは難しいかなという気がしてます。

以下にリンクさせていただきました。
http://tenjin.soreccha.jp/e6904.html