岩国市で医院を開業しておられる、吉岡耳鼻咽喉科 吉岡達生先生です。
■漢文が読めないとき、先生にお願いにあがると、丁寧に教えていただけます。
■ここで吉岡先生がかつて書かれました『僧独立と岩国錦帯橋』をご紹介いたします。
僧独立と岩国錦帯橋 (吉岡耳鼻咽喉科 吉岡達生)
-とくに杭州西湖の蘇堤・白堤との関係-
僧独立は、藩主・吉川広嘉の治療に来岩し、岩国錦帯橋の創建と命名に、大きな役割を果たしています。岩国錦帯橋は、川幅が二百㍍もある錦川に「流れない橋」をかけるという課題に対する、一つの解答例です。江戸前期の1673年(延宝元年)に、独創的な着想・技術で創建しました。岩国錦帯橋は、僧独立を通した国際交流の証でしよう。
独立と岩国錦帯橋の創建
僧独立は、明が滅び清の世になって、中国杭州から日本の長崎に亡命していました。黄檗宗の禅僧となり、名医として有名でした。もとの名は戴笠(字は曼公)で、僧の名は独立性易です。
1664年(寛文4年)に僧独立69歳は、広嘉の治療のため、岩国へ招かれました。独立が所持していた『西湖遊覧志』の西湖図には、蘇堤の六つの橋が島から島へ架け渡されています。独立が説明したところ、広嘉は「島伝いにアーチをかける」基本構想を思いつきました。島(橋台)と木造アーチ橋を併用して、長い橋を造る独創的な着想です。
基本構想を具体化する際に、僧独立を介して中国の橋梁の知識を得たと考えられます。具体化の過程で、島(石垣で固めた橋台)は四つ、橋(橋体)は五つに決まりました。五橋のうち両端の二つの橋は、ふつうの柱橋にして、中央の三つの橋を橋脚のないアーチにしました。この木造の三連続アーチは、世界で唯一(オンリーワン)です。独創的な技術で、木造のアーチ橋を完全なものにしています。
独立と岩国錦帯橋の命名 -西湖白堤の錦帯橋から-
杭州西湖の白堤には、「錦帯橋」という石橋があります。僧独立が、この名前を岩国に伝えて、岩国の「錦帯橋」の名前になったと考えられます。
僧独立は、ひところ西湖畔に住んでいました。当然に西湖白堤の錦帯橋を日常的に利用していたことになります。『西湖遊覧志』は少し古い本なので、西湖図に白堤の錦帯橋の名前は記入されていません。西湖図を説明するとき、白堤の錦帯橋を追加したことでしょう。このとき、錦帯橋の名前が広嘉の心の中に鮮明に残ったものと思われます。
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