2007年7月24日火曜日

■長州ファイブ  ■井上馨 (井上聞多)

■井上聞多は1835年に山口に生まれた。
■性格は激しく癇癪もちであったと聞く。
■5人で5000両(今日のお金で約2億円)を調達し、上海経由で英国に渡った。
■井上は伊藤と一緒に上海からベゲダス号(300トン)に乗り込み4ヶ月と11日かかって英国に到着した。1863年9月23日(井上28歳、伊藤22歳)
■攘夷を唱えていたが、英国の実態を見ると一気に開国派に転じたと言う。
■英国に渡り半年後連、合艦隊が日本を報復するとの新聞報道を見て急遽、伊藤と共に日本に帰った。
■日本の将来を見据え、国際的信義を貫き、財政重視の姿勢で広く海外と協調する考え方は、まさに『外交の父』と呼ぶにふさわしい。
■一を知りて、十を知る超人的な才能と、強靭な体力、果敢な闘志を持った井上聞多なくして、今日の日本は築けなかったと思う。
■以上は、二時間あまりの講演会で井上聞多の話を聴いた感想である。
■それにしても、4ヵ月半かかって英国に行く時代から、半日で英国に行ける時代になった。
■便利さは気力と体力のハードルの高さを下げてしまった。
■その反面変化のテンポと密度は急激に増した。
■これからの外交はやはり将来を見据え、世界を駆け巡り、多くを聞き、多くを見て至誠と信義で貫かなければならないことが分かる。
■まさに井上の聞多とは良い名前である。
 
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